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「10分未来のメッセージ」 7.シリウスの輝きと恋の遍歴

「10分未来のメッセージ」これまでのお話……


 百貨店の警備員、朝土永汰は、セミを恐れる女性客との出会いがきっかけで気づいた、「10分後の音声が、ふと聞こえてしまう能力」のせいで、徐々に厄介なトラブルに巻き込まれてゆく。
「セミの君」こと早川深咲に恋心を抱く永汰は、彼女に特殊能力の事情を説明する運びとなり──


7.シリウスの輝きと恋の遍歴



 うかつだった。
 もし恋人が人の心を読めたりするサイキックだとしたら、パートナーは誰だって嫌がるはずだ。オレはそれほどの能力はないにしても、うかつに話すべきじゃなかったかも。

「でも、どうしてそんなことが」

 完全拒絶モードではなさそうな反応。こうなったら彼女に受け入れてもらうしかなかろう。素直に、誠意をもって、自然に任せて伝えれば理解してくれるはず。

「きっと、宇宙からの贈り物なんだと思う」

 凍てつく冬の夕暮れ時、車両も人通りもまばらな百貨店の裏で中央公園の方向を眺めながら1人佇んでいると、一番星、二番星と、空が闇に溶け込んでいくにつれて星もキラキラ輝きだして、カペラやアルデバランを筆頭に、オリオンが、冬のダイヤモンドを形成する雄大な天体の構図が、東の夜空にくっきり浮かび上がってくる。やがて最も明るく輝く冬の王者シリウスが登場すると、それはまるで挨拶──、孤独な警備員への励ましの挨拶のようで、その瞬間、自分がそこに居合わせたことを心底幸運だと思えてしまう。

「シリウスは地球からおよそ8.5光年の距離だから、自分は8年半も前の過去を見ているわけで、あちらから超高性能の望遠鏡で地球を見ると、8年と半年前の様子が映るって、ふしぎじゃない? 
 10分先の音声ってのも、なんか宇宙そのものに関係してる気がするんだ。物理的には説明できないちょっとした現象って、よくありますよね? 
 例えば、虫の知らせとかいった共時性。ふと懐かしい人を思い出したとたん、当の相手から電話があったとか、昔の恋人との思い出のストラップが壊れた翌日に、新たな彼女候補から、入れ替わるようにチャームのプレゼントを贈られたとか」

 ふっと彼女は笑った。
「恋の遍歴が、色々とおありなんですね」

 少々冷淡なその言いようには、そこはかとないトゲが含まれているようにも、相手の過去の恋愛など、まったく意に介さない大人の女性のゆとりのようにも受け取れる。
 もしや機嫌をそこねたか? 
 チラリと表情を伺うが、完全なるポーカーフェイスで真意は読み取れず。ああ、壮大な宇宙の未知の力の話をしていたはずなのに、なんでこうなる? 

「このこと、他に誰か知ってるんですか?」
「誰にも話してない。自分でも最近気づいたばかりで」
「他人の心の声なんかも、聞こえちゃったりするのかしら?」
「それはないよ」

 多分……。そんな能力は願い下げ。

「ぼくの場合は、たまたま10分未来の音声なんだろうけど、きっと誰にでも、そうした何らかの特別な能力って、あるんじゃないかな。ただ、気づいてないだけで。
 世の中、余分な情報に溢れすぎてたり、雑念だとか無用なことに囚われすぎで、現代人には気づきにくいとしても、恐らく太古の人類は、遥かに神経が研ぎ澄まされてて無駄がなく感性も豊かだったのではないかと。
 深咲さんの音楽の才能だって、そうした優れた能力のひとつであって、あなたの場合はそれがはっきりわかるだけのことで──」

「才能があったら、今頃はピアニストとして舞台で活躍しているはずだけど」

 おっと。またまずいことを言っちまったようだ。

「い、いや。必ずしもピアニストが正しい道とは。あなたには教師としての才能が──」

── あたしもよ ──。

 ん? 彼女は今、カシスオレンジのグラスに口をつけている。しかも意味不明な会話の流れ。

 10分後なのか? 

 腕の時計に目を落とす。18時18分。 
 10分後、つまり 6時28分に、彼女が「あたしもよ」と言うわけか?
 心臓が早鐘のように打ち始める。頬が火照る。何が「あたしも」なんだ? 
「愛してる」って、言っていいのか? 
 その応えが、「あたしもよ」なのか? 

 よしっ。これはチャンスだぞ! オレは景気づけにグラスのテキーラサンライズを一気に飲み干した。

「警備の仕事って、基本は立ってるだけなんだよね」

 うまい具合に時間を稼がねば。警備中の「ひとすじの光」が深咲さんだったということに、最終的に話をもっていけるよう。

「例えば地下の灼熱の配送所なんかでは、左右の視界は積み上げられたダンボールの荷物で遮られ、目の前に停車してるトラックの車体を延々見続けているわけさ。例えば車体に『スジャータ』とあれば、
──スジャータとは何ぞや? ──
 なんてぼーっと考えながら」

 何ぞや? ただ、永遠に何ぞやと、思考は停止していただけだった。

「で、何だかわかったんですか?」
「何が?」
「スジャータの謎」

── スジャータって、仏陀を助けた娘さんの名前なんですよ ──。

 ユリさんの声がよみがえってくる。

 彼女は退屈なオレの「スジャータとはなんぞや?」という謎をあっさり解明してくれた。しかしちょっと頬を染めて、「まあ、そんなところです」と、その先は不自然に言葉を濁したのだった。
 後で調べて知ったのだが、極限までの修業で飢餓状態だった仏陀を救ったそれが、スジャータの乳粥だったなんていう突っ込んだところまでは、彼女、話さなかった。基本がお嬢様なのだ。

「いつも優しく声をかけてくれる従業員の女性が、スジャータが仏陀を救った娘の名だと教えてくれたわけで。そのおかげで、自分はしばらく遠ざかっていた小説に再び手を染め始めた。書くことに目覚めたんだ。ここは百貨店! 色んな現実が、興味深い話のネタが目の前に計り知れず転がっているというのに、ただぼーっと見過ごしていた自分の愚かしさに気づいたというわけ」

 日々巻き起こる職員やお客さんの様々な人間模様は、まさにネタやアイディアの宝庫ではないか。

 ベテラン店員の彼女は、商品というより人々に幸せを売ってるみたいだな。
 彼は毎日、いつも何をあんなに急いでる? 
 幸せそうな若い2人は夫婦? それとも恋人どうしかな? いやいや、ひょっとしたら仲の良い兄妹か姉弟かも知れないぞ。両親への特別な贈り物を見繕いに来たとか? それとも久しぶりに会って食事とか? 想像はいくらでも、無限に当てはめられるのだ。 
 母親に手を引かれた男の子が激しく泣いてるのは何故か? よほど悲しいのか、単なるワガママか。母親の対処スタイルも様々。途方にくれつつ必死で宥めるか、一枚上手に出て上手に気をそらすか、逆にカンカンに怒って事態を更に悪化させるか。
 あのマダムはあんなに嬉しそうに、いったい何を買い込んだのかな? 自分が欲しかったもの? それとも大切な人への贈り物?
 いそいそとワイン売り場にやって来る彼は、新人さんの彼女に恋してるな、とか。

 時計は……? まだ3分も経ってない。

 その時、彼女の携帯が振動を始めた。電話か? 微妙なタイミングだが、「どうぞ」と、オレは促した。

「ああ、ママ?」

 母親からか。BFなんぞでなかったことに安堵する。

「ええ、心配しないで。大丈夫だから。例の百貨店の警備員さんだけど、素性も知れてる方だから」

 聞くつもりはなくても聞こえてしまう。思い切りオレのことではないか。「例の」とは? うーん聞き捨てならない。まさか特殊能力のことまで喋っちゃったりしないだろね。

「爆発の話は誤報だったって、言ったでしょ。え? ストーカー?」

 何やら母親の心配が妙な方向に? 

「家電の番号は、個人情報の乱用とかじゃなくて、レッスンの段取りに一応把握したいってことで、警備員の権限で勝手に顧客リストを盗み見たって分けたじゃなくて……」

 把握したい? オレが? ピアノ教室の番号は、彼女から教えてくれたはずだったが。それに顧客リストの流出疑惑とかって、話が思い切りヤバくないか?



8.「不穏な展開」へ続く……




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