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「10分未来のメッセージ」 10.悪夢のサングリア

「10分未来のメッセージ」これまでのお話……


 百貨店の警備員、朝土永汰は「10分先の音声が、ふと聞こえてしまう能力」が自分に備わっていると悟って以来、新たな恋や様々な騒動に翻弄されていく。
 尾行の気配など不穏な展開に、そこはかとない不安を覚え始めていた矢先、周囲の音が一切聞こえなくなり、10分後に自分が死ぬ運命にあると知ってしまう。


10.悪夢のサングリア


 10分後に死ぬ?

 としたら、10分間で何ができる!?

 銀行口座の残金は? 色々引き落としがあるんだが。明日は無断欠勤か? シフトがさぞかし混乱するだろうな。預かってたあの書類はどうなる?

 ああ、なんてくだらんことばかり考えてしまうんだ。小説の原稿を整理しとくんだった。せめて親父とお袋に別れの言葉を? 深咲さんは? まだ告白もしてないんだよ? ああ、ユリさんにも話しておきたいことがあったのに! 

 その時、オレは悟った。なぜ、10分なのか。

 それは10分間の猶予。宇宙から与えられた残り時間。死を覚悟して心構えをする貴重な時間の贈り物──、いや、本当にそうなんだろうか。

「回避できる?」

 10分後、オレは何をしようとしてた? フランツと遊ぼうと? うっかり開け放しにした窓から飛び去ったフランツを追って勢いあまり、ベランダの手すりを越えて転落するのか?
 今夜、深咲さんにご馳走を……、そうだ、上等のワインを買いに行かなきゃならなかったじゃないか。近所の酒屋で強盗を捕まえようとして刺されるとか? それとも車に跳ねられる? せめて子どもとかお年よりとか、弱者を助けようとしてなら、名誉の死なんだが。

「いや、ダメだダメだ! 回避するんだ!」

 未来は変えられる。何としても! 死の現実を振り払わねばと必死に格闘する。そうだ、家に居ればいい。まさか飛行機が突っ込んでくるなんてことはなかろうよ。

 そのとき玄関のチャイムが鳴った。

 何と最悪のタイミング! 宅配を装った殺人鬼? それとも誰か、オレに恨みがある輩? 例の爆発犯が早くも脱獄したか? ああ、思い当たる節が沢山ありすぎ。

「出ないぞ。絶対に居留守だ」

 それとも深咲さんだったら?
 恐ろしい考えがよぎる。一緒に料理を作ろうと早めに来てくれたのかも知れない。オレが出ないことで運命が変わり、彼女が身代わりに? 心臓が貫かれる思いとは、こういうものか。自分が死ぬより恐ろしいこと。この質素な集合住宅にインターホンがないことをオレは呪った。

「ダメだ! 確かめないと!」

 ドアスコープには案の定、彼女の姿があった。

「深咲! 早くっ!」
 容赦なく引き込み、ひしと抱きしめる。
「深咲さん、ああ良かった!」
「朝土さん?」
「あ、ごめん」慌てて彼女を解放する。
「つい気が動転して」

 彼女をリビングに促し、オレはかいつまんで事情を説明した。

「だから誰が来てもドアを開けないで」

「10分……? 10分って案外短いかも」

 深咲さんは首をかしげ、とにかく落ち着くようオレをソファに座らせてから、
「キッチンお借りします。美味しいワイン、持ってきたので」
 と、冷静にキッチンに向かう。

「あー、ごめん。まだ下準備すらできてなくて」

 魚介とカラフル野菜のアヒージョに、和風ペペロンチーノ、簡単なのにリッチ感を味わえるオニオングラタンスープと、初級レベルの腕で作れるシンプルメニューながら、見た目も楽しめ、ワインにも合う、得意の組み合わせ。1時間もあれば準備ができたろうに、んー、ザンネンな展開になりそうだ。
 ワインは持ってきてくれたとして、ああ、パリッパリの焼き立てバケットを老舗のパン屋で調達してくるはずだったのに。

「いいんです。今は飲み物だけで」
 明るく言う深咲さん。
「サングリア作って、冷やしておきたいので」

 ほどなくしてキッチンから顔を出し、持参のレモン片手に首をかしげて見せる深咲さん。
 何も言わずとも、キッチンツールは? と尋ねているのは良くわかる。うーっ。なんて愛らしくて爽やかなんだ! エプロンこそしてないが、なんて家庭的なんだろう! 
 リビングではフランツも、また何やら無邪気に騒いでる。深咲さんに、フランツに、自分と3人の暮らしが、こうして目の前に。無意識に求めていた温かな雰囲気がここにあるではないか。
 絶対に手放しちゃダメだ。こんな幸せを前にして、誰が死んだりするものか。そうだよ。座ってる場合じゃない。最期の時を少しでも彼女のそばに──、だから違うって。最期でなんか、あるものか! 

 うちは何もかも棚や引き出しの中に仕舞い込んであるから、勝手がわからないのは当然なのだ。
 シンク脇の引き出しから、手頃なフルーツナイフを彼女に渡す。何しろ予兆があった以上、刃物は慎重に扱わないと。えっと、ナイフは自分に向けて、柄の方から。
「少し大ぶりだけど、万能なので。良く切れるから気をつけて」

 受け取る彼女は、やけに分厚そうなゴム手袋をはめていた。本格仕様に感心していると、

「ああこれ? 職業柄、手は商売道具でもあるので、保護手袋は必須なんです。刃物はもちろん、こうしてレモンを洗ったり、水仕事の時なんかも」

 あと用意するものは? カッティングボードと、冷やしておくならピッチャーか。何か作業をしていれば、いつの間にか10分など自然に経ってしまうだろう。気がついたら、生きていたってね!

「冷やしたほうが断然美味しいんだけど、作りたても、ぜひどうぞ。えっと、大きめのグラスは?」

 リビングのキャビネットから、とっておき、クリスタルのグラスを2つ出す。

「ああ、ひとつでいいです。あたし今日は車だし」

 そうか、いよいよフランツを連れて帰ってしまう日だった。

「センセイ、センセイ、トッタ!」
 まだ意味不明の言葉をぶつぶつ言ってる。

「〈トロイメライ〉、弾いちゃったんですね」

 グラスの飲み口にカットレモンの添えられた深紅のサングリアが、ソファ前のローテーブルに置かれる。

「どうぞ。まだ動揺されてるでしょうし、飲めば少しは落ち着けるかと。冷えてないので飲みやすいと思いますよ」

 確かにノドがカラカラ。レモンを少し絞って清涼感を味わいつつ、一気に飲み干してしまう。ご馳走さま、と礼を言いつつ、
「赤ワインをオレンジジュースで割ったのが、サングリア、だよね?」
 苦味が口に残るが、そういう味なんだろう。

「赤ワインを割るのはオレンジジュースとは限らないらしくて、今回はグレープフルーツジュースにしてみたの」
 深咲さんは心配そう。
「もしかして、やっぱり合わなかった?」

 苦そうな顔になってたか。せっかくこしらえてくれたのに。
「美味しいからこそ、一気飲みしちゃったんですよ」

 そう言えば、自分ばかりで客人をもてなしてなかったではないか。
「あなたも何か飲まれませんか?」
「大丈夫です」
「せめてジュースの残りでも」

 あれ? 立ちくらみ。いったんソファに沈み込む。早くも酔いが回ったか? 軽めのサングリアとはいえ、一気飲みはきつかったか。

「さっき……、〈トロイメライ〉がどうとか……?」    
 なんだか急激な眠気も。

「立たなくていいです。ジュース、用意してきます。あと、お水もいりますね」

 声が遠くなる。

「アタシノポーチ! コレ、アタシノ!」
 一瞬、眠ってしまったか? フランツの声が、頭に直接響いてくる。
「アタシノ! アタシノ!」
 完全オカメパニックだ。何とかしてやらなきゃ──

「うっ!」
 衝撃。恐ろしい衝撃。息ができない?
「うっうう……、な、何……?」
 胸から血があふれ出る。刺されたのか? 
「ゴホッ、ゴホッ」息が……!

「〈トロイメライ〉弾いちゃダメって、言っといたのに」

「センセイ、センセイ! トッタ!」

「オーケストラのお金、盗ったの、会計の子にバレてしまって」

 何言ってるんだ?

「鳥頭なんて、バカにしちゃダメ」
 深咲の口調はまるで別人。いや、これが彼女本来の姿なのか。

「この子ったら〈トロイメライ〉を聞く度に盗った盗ったって騒ぎ立てるんですもの。まるでテレビドラマみたいに、そのまま再現するわけよ。何年経っても、忘れてくれないの」

「生徒を、殺した? こんな風に……、さ、刺して?」

「うっとうしいからわざと逃がしたのに、誰かに拾われたって知って、心配になったの」

── あの、すみません! ──

 すべては警告だったのか。ああ、オレって、本当にバカだ。

「セミ、降ってきたんですからね」
「あ……?」
「あたしの背中に飛び込んで、そこに居合わせた警備員に背中のチャックを下ろしてもらう大騒ぎ! 聞けば、セミはしょっちゅう降ってくるって言うじゃない? あなた、嘘ついたでしょ!」

 復讐と隠蔽は、殺人の動機か……。あ、書きかけのSF短編、仕上げたかった。ダメだ。もう目が見えない。息が、血の気が……、オレって本当に……、

「さあ行くわよ! あんたは目撃者だからね。あんたも始末するしか、ないかな!」

 彼女がケージに近寄る影が逆光に浮かぶ。オレは血を吐き、床に這いつくばりながら、なすすべもない。

 インコの絶叫とともに、彼女は出て行った。
「ピー! ピー! ギャーッ!」

 その時、オレの本能が目を覚ました。警備員としての本能が!  
 絶望し、いったんは死を受入れたが、

「きらちゃん、助けないと!」

 電話、電話はどこだ? 携帯は? 家電の子機がどこかにあったはず。それよかドアの外に這いずり出さえすれば、誰か近所の人でも通りかかるか? ああ、血が。近い方は? きらちゃん、助ける。きらちゃんを助けるんだ……。
 何とかして充電器につながれた電話の子機を拾い上げる。
「刺された。救急車、頼む。出血がひどい」

 受話器の向こう、オペレーターの声が遠く、何だか聞き取れないが、オレはどうにか住所を告げた──のだろう──。
 これがドラマや映画だと、脇で誰かが手を握って、
「眠っちゃダメだ! オレの目を見ろ。話し続けるんだ!」
 とか励ましてくれるんだろうが、居もしない助っ人をイメージして、とにかく電話に喋りつづけた。
「自分、B型です」
「インコが、連れ去られた。保護……、しないと」

 どのくらい経ったろう? 1分か、2分か、それともまだ数秒か? 遠のく意識の中、どこからか、救急車のサイレンが聞こえてきた。

「聞こえる。きっと、助かる」

 近づいてくる救急車の音。安堵と共に、一抹の不安。だけどこれって……、リアルタイムのサイレンだよね? 

「まさか……、10分後の音じゃ? ないよね?」




11.「新たな能力」に続く……






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