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「10分未来のメッセージ」 8.不穏な展開


「10分未来のメッセージ」これまでのお話……


 百貨店の警備員、朝土永汰は「ふと10分後の音声が聞こえてくる」己の能力に気づいて以来、身の回りに厄介事が降り注ぐようになっていく。
 運命共同体的な存在となった新たな恋の相手、早川深咲にも秘密を打ち明けざるを得ない展開となるが、彼女が10分後に「あたしもよ」と応えることが予知できたので、永汰は正確なタイミングで愛を告げようと張り切るのだが……
 


8.不穏な展開



「そうよ? その警備員さん個人の自宅に出張レッスンでお邪魔してるの。何が悪いわけ?」

 電話の向こうでは彼女の母親が要らぬ心配をしている模様。残念なことにオレはストーカーもどきと勘違いされているようだ。彼女は毅然とした口調で懸命に説明してくれてはいるが、居心地の悪さはぬぐえない。

「相手がストーカーだろうが変質者だろうが、ピアノ教師のプロとして仕事してるの! 生活かかってんだから放っといて!」

 ついに声を荒げる深咲さん。まるで別人。物静かな女性も身内相手だと豹変するのか? いや、オレを必死でかばってくれてのこと。さすがに周囲のお客さんにも迷惑になるな~、といったところで通話は切り上げられた。

 呆れたように肩をすくめて。彼女は言った。
「すみません。心配性な母親で」
 母親への猛烈な勢いは、どこへやら? 再び元の清楚で感じの良い深咲さんが戻ってくる。
 元の……? 
 一瞬、ある種の疑いが過る。デジャブ……。そう、フランツを叱りつけてた時も、凄みの利いた声が結構おっかなかったよな。
 が、そんな偏見は、すぐさま却下。清楚で可憐な雰囲気の方が、元の深咲さんに決まってる。それにしても、ストーカー、はたまた変質者もどきの誤解は、ちゃんと解いておかないと、お母さんだって気の毒だろうに。

「つい聞いてしまったけど、あんな言いようは、お母様の心配をあおるだけでは?」

 ここで彼女の家庭事情なぞにちょいと話題を向ける。深咲さんは1人暮らしだが、未婚のせいか、田舎の母親はいまだに私生活に干渉してくるということだ。
 それにしても遠方の母親に、そこまで詳しく話していたとは。爆発騒動だって、ついさっきの話だってのに、まいったね。

「で、ごめんなさい。何のお話でしたっけ? 電話の前」

 彼女はあまり家族の話はしたがらないと判断。しかし電話のおかげで 2、3分は稼げたぞ。そうだ。母親の心配で思い出した。例の睡眠薬。少々気は進まないものの、約束は約束だ。

「カプセルなんですね。良かった。その方が飲みやすいから」
 彼女は感謝の言葉を述べつつ、カプセルを一錠取り出し、
「ちょっとした裏技なんですけどね」
 と、中身の粉が飛び散らないよう慎重にカプセルを左右に外してみせた。
「こうして粉をカプセルから出して、直接舌の裏側に落とすようにして水で流し込むんです。舌下は吸収が早いので、ストンと眠れてしまうの」

 胃の中でカプセルがゆっくり溶けるのなんて、待ってられないわけか。

 カプセルを元の状態に戻し、彼女はハンカチにティッシュを重ねて広げ、薬の半数ほどを包んでバッグに仕舞い、薬袋は返して寄越した。
「あとは朝土さんが持ってらして下さい」
「いや、ぼくは必要ないから」
「いえ、依存してしまうといけないし。あなたが持ってて下さって、欲しくなったらいつでも頂けると思うと、安心なので」

 深咲さんがいざという時に必要な物をオレが保管しておくことになろうとは。それは実に光栄な提案ではないか。

「で、あなたの小説の話でしたよね?」

 ああ、そうだった。時間は? あと3分ちょいか。

「知ってます? 警備員って若いのと年配と、大概どちらかなんだって」
「そういえば、中年の方って見かけないような」
「ぼくも30過ぎて、そろそろ焦り始めているわけさ。いつまでも警備員をやってられないって。執筆で身を立てるのが目標だったのに、バイトで始めた警備員生活から永遠に抜け出せなくて」

 これで何秒くらいなんだろう?

「そろそろ帰りますか?」
「えっ?」
「さっきから時計ばかり気にして」
「いや、それは」

 百貨店のお客さんだからって、ピアノの先生だからって、もう遠慮なんかするもんか。10分経過のタイミングできっぱり告白する。あと少しの辛抱だ。えっと、一条の光に話題を進めていくんだったな。

「百貨店で勤務してても、こちらの存在を気にかけてくれる人なんて皆無でね。自分も警備員は添え物程度の存在って割り切ってたんだ」

「まあ、大切なお仕事でしょうに、そんなこと」

 オレは氷だけ残ったグラスを弄んだ。
「1人だけ、間近を通る度に丁寧に挨拶してくれた従業員がいてね」

 それがユリさんだった。あの頃は、彼女こそがひとすじの光だった。

「せめて名前だけでも知りたくて、ある時、思い切って名札を見せてくれと頼んだら、彼女、自分が何か規則違反でもしたのかと飛び上がっちゃって」

「それってナンパじゃないですか」

 またトゲのある言いよう。マズイ。気をつけろ、気をつけろ。あと1、2分だろうか?

「いや、違うんだ。つまりユリさ……、いや、その女性が言うには、
『百貨店で最も敬意を払うべきは、警備員さんと、お掃除のおばさま方』だと。
『なのに皆が軽い仕事と疎んじて、無視しているのはおかしい』と。
 言われてみれば、従業員でオレたちに挨拶してくれてたのは、彼女だけだったんだよね」

 警備員なんて空気のような存在で誰も気にも止めない中、彼女だけが優しい微笑みを投げかけてくれて……。彼女の優しい気遣いは、店中にじわじわと広がってゆき、やがては皆が職種や持ち場に関係なく、和やかに挨拶を交わす店全体のムードができあがった。

「結局、彼女は人妻で、誰にでも親切で優しい人ってわかったんだけど。つまり自分にだけじゃなくて」

 バカ、オレは何を話してるんだ?

「あ、もしかしてその人って、あのサービスカウンターの? ユリさんとかいう綺麗な方」
「いや、そうじゃなくて、ぼくが言いたいのは……、深咲さん、今ではあなたこそが」

 時間だ! 

「深咲さん、ぼくは!」
「朝土さん、大丈夫? 顔が真っ赤」
「いや、ちょっと飲みすぎちゃったかも」
「……あたしも」

 オレって、何てトンマなんだろう。


 深咲さんとの別れ際、次のオフの日にレッスンの後で、オレの手料理をふるまう約束を取り付けた。今度こそは抜かりなくいこうではないか。上等のワインでも用意して。

 今宵は電車には乗らず、星空に想いを馳せつつロマンチックな気分に浸っていたい。テロリスト騒動の警察沙汰にもなったんだ。遠回りの道すがら、身近な自然や遠い宇宙を感じて、帰宅する前に心をリセットしたいところだし。

 線路から少し離れた遊歩道を1人歩いていると、何やら不穏な気配。誰もいないはずなのに、やけに背後が気にかかる。もしかして……、

── つけられてる? ──




9.「静寂の意味するところ」に続く……


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