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非日常を落とし込む

非日常と日常は地続き

今日はズームをしていて気づいたことを書いていきます。

ところで話は少し脱線するのですが、今俺は割と時間的な制約が一時的ながらある状態です。でもその中でのびのび、いや割と鬼気迫る感じで毎日過ごしています。

そんなこんなで身を置く環境作りも大事だなと感じてます。

ということで、今日の本題の非日常の落とし込みについてです。

イベントを主催するっているプチ非日常があって、色々気づきはあったつもりでした。でも改めて人に質問されると想像の2倍位は気づきもあって、気づきのうちいくつかは、すでに日常に落とし込めていました。

例えば、自分でできる可能性がある仕事でも、人に頼って分担してみるとか、シンプルながら連絡は早くするです。

他にもたくさん出てきたのですが、非日常なことを行っても、日常レベルにしっかり反映できてるもんだなと、改めて感じられたのが今日でした。

日常の中に非日常を

日常と非日常が繋がってると実感できて嬉しいのが、自分の理想の一つがそこにあるからです。

中学生くらいから母子家庭で、祖母の介護があったため、日常よりも非日常に救われることが多かったです。(これは後天的な部分)

そして小さい頃から自分を遠くに連れて行ってくれる電車、人から少し離れた仏像やお地蔵様、あと宴会場のカラオケなど、日常の中にある非日常が好きでした。(これは元から)

小さなころから無くても良い非日常は、無くてはいけないもので。
中でも今は、日常の中にふわっとあるような非日常に強く関心があります。

実体験なのですが、日常から切り離された非日常な世界に行くほど、祖母のことや家のことが気になる、楽しいけど楽しめない。がありました。

ディズニーも楽しいけど、もう少し身近の商店街ふくびき大会とか、家でみるテレビとか。日常に隣接した非日常の部分が自分の救いでした。

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