[#料理はたのしい] オッチャンの普通ご飯
私は今年46歳の家事おじさんです。掃除、洗濯、庭の手入れなど、何でも結構楽しんでやっています。特に好きなのは昼と夜に料理を作ることで、妻ちゃんがそれをおいしいおいしいと言って食べてくれることにとても喜びを感じます。料理が好きと言うとよくあるのが、凝った料理を作るのが好きという趣味性が強いパターンですが、私はそういうタイプではなく、毎日の当たり前の事として普通の料理を作るのが好きというパターンです。凝った料理を毎日作ってたら疲れたり材料が余ったりしてしまいますしね。毎日の掃除や洗濯と同じ程度の水準です。それが好きというのはちょっと変わってると思います。私がそういう感じになったのは、6歳下の弟とのある出来事がきっかけでした。
基本的に彼は細かいことを気にしないひょうひょうとした性格で、学生時代もクラスのおもしろ人気者キャラでした。我々は小さい頃は仲の良い兄弟だったのですが、私は中学生くらいから彼と口をきかなくなりました。彼と…というよりは、私はその時期軽くグレだして家にあまり居なくなったのです。親ともそんなに口をきいていませんでした。1990年代前半の当時は今よりずっとゆるい世の中だったのと、不良ブームがあったのと、さらには思春期だったりもして、そういう若者は結構多かったと思います。でも、小学生の弟にとってはある時から急にお兄ちゃんが冷たくなったということで、悲しい思いをさせてしまったと思います。不良ブームだの思春期だのは小さな彼にとっては関係ないことですもんね。なのでお互い40代になった現在でも、私は胸が痛むのです。そして私が冷たくなってから10年弱の2000年前後、弟は実家から遠く離れた他県に就職しました。その頃には私も20代で、もう口をきくようにはなっていましたが、夜遊びばかりしていたため関係は薄かったのを覚えています。いつ就職して引っ越したのかも知りませんでした。そして親も田舎暮らしを始めるということで、実家を出ました。そしてさらに数年後、弟は働きすぎて体を壊して実家に帰ってきました。実家で彼との二人暮らしが始まったのです。これが私にとっての大きな転機になりました。
私は当時、バイトをしながら漫画やイラストで小銭を稼ぐという生活でした。なので時間は結構あります。弟にはゆっくり休んでねという気持ちもあって、家事は全部私がやっていました。もともと実家で一人暮らしだったので、やっていることはそれまでと一緒ですしね。ただ一つ違うのは、料理を弟という他人のために作るという点でした。それまではその日に自分が食べたいものを作っていたのですが、弟の好みは何かな、体に良い食材は何かな、昨日は肉多めだったから今日は野菜中心にしてあげようかな、とかいう具合にです。スーパーに行っても、例えば一人暮らしの状態でアジが安かったら、「おっ今日はアジにしよう。焼いてる間にリビングで漫画描けるしね。」と、効率優先になる時が多かったのですが、弟と二人暮らしになってからは「あ~弟はアジ好きだったかなあ。こっちのサバのほうが脂が乗っててごはんがすすむかなあ。」といった具合に、ちょっと真心が入りこんでくるんですよね。これが楽しいのです。こういうのを自分は楽しいと思う人間だったんだ、と気づいたのです。
それは、小さい頃に彼を悲しくさせてしまった罪ほろぼしの気持ちもあったんだと思います。「あの時はごめんね」と言うのはテレくさいので、代わりに彼の生活基盤を支えてあげてその気持ちを表そうとしていたのかもしれません。さらには弟は食べ物の好き嫌いが結構あるのですが、私の作った料理をまずいと言ったり残したりということもありませんでした。だいたいうめーうめーと言って食べてくれました。変なことを言ったらまた何かおかしなことになるという心理もあったのかもしれません。何にしても、本当だったらもっと子供の頃に作れたはずだった楽しい思い出を今作っている、そんな気持ちが我々にはあったと思います。二人で食卓を囲んで、最近遊んでるゲームの話を聞いたり、今描いている漫画の話したりする普通の毎日は本当に楽しかったです。
それから数年後、私は地元から妻ちゃんの地元へ引っ越し、さらに10数年たって、現在に至ります。当時の弟に対してと同じく、妻ちゃんの好みや栄養バランスなどを考えながらスーパーで買い物をし、調理をして食べてもらう、それが日々の楽しみなのです。妻ちゃんも食べ物の好き嫌いが少しありますが、やっぱりだいたいうめーうめーと言いながら食べてくれます。さっきもお昼にたまねぎと冷凍コーンが残ってしまってたので、バターと味噌しょうゆで簡単な小鉢を作ったら、止まらない!ごはんが止まらない!とニコニコしながらパクパク食べてくれました。その様子を見ながら「確かに味噌ラーメンみたいな味でおいしいよねー。今夜はこの味付けでメインの料理を作ろう。何かな、シャケのちゃんちゃん焼きかな、妻ちゃんはシャケ好きだしね。」とぼんやり考えることに喜びを感じるのです。
初めに書いたように私は凝った料理を作るのが好きなわけではなくて、日々の普通のこととして普通の料理を作ることが好きです。小さい頃の弟は、「普通」だった兄が突然変わってしまいました。妻ちゃんは病弱で、「普通」がこなせないことが多いです。だからこそ私は、毎日行われる食事を「普通」で安定しているものにしたいのだと思います。それは弟へのごめんなさいの気持ちだったり、妻へのかわいそうだなという気持ちの他にも、自分自身も小さい頃から周りから浮きがちで、現在も社会から微妙にはぐれている「普通」からずれた人間だからなのでしょう。普通からずれることの悲しさを知っているからというのもありますし、彼らに普通を提供することで、自分も普通に近づこうとしているのだと思います。現代は娯楽も刺激も多く、個性も重視される時代です。普通を飛ばしてそれらを求めることも多いです。だからこそ、ぶれない普通を安全基地のような存在として持っておくことが大切なんじゃないかと思います。娯楽も刺激もそればっかりだと疲れちゃいますしね。
[おまけ]
私が毎日料理を作ってて飽きない理由の一つに、「料理の名前にこだわらない」というものがあります。「形にこだわらない」「レシピにこだわらない」とも言えます。例えば上記のたまねぎとコーンをバターと味噌としょうゆで炒めた小鉢は、その場で作ったもので、もともとこの世に存在する料理ではありません。ただ味噌ラーメンを想像しながら炒めただけです。昨晩作ったにんにくの芽と豚肉の炒め物も、道の駅で珍しく国産の芽が売ってたので、まあお肉と一緒に適度にしょっぱくすれば美味しいんじゃないかなということで作りました。レシピを見ながら作るとスマホの画面がべたべたになるし、何だか人に命令されて作ってる気がして楽しさレベルが下がるのです。なので、「オムレツ」のように決まった名前があってレシピ通りに作るほうが苦手です。ちょっとしたDIY気分なんでしょうね。それは父親の性格に似たのだと思います。子供の頃の父親は貧乏でした。これまた普通ではありませんでした。それによって自分で工夫するというDIY精神が芽生えたのですが、それが今ポジティブな要素に転じているのは、自分の大きな誇りです。
こういう料理漫画も以前に描きました。ぜひ読んでみてください。
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