[ブログ&漫画] カワムラくん 第2話 ~カワムラくん~
今回の漫画は、「杉村くん」の第一話をカッパでリメイクしたものです。リメイク前の漫画はこういう感じです。どこがどう変わったかぜひ見てみてくださいね😇
杉村くん第1話は、実は何パターンもあります。何年か前に連載用に、担当編集者と一緒に作っていたのです。
[その1]
これはオリジナルよりもセリフが多めで、テーマをより伝わりやすくしたバージョンです。
[その2]
こちらは、その1よりもせりふを減らしてすっきりさせたバージョンです。例えば10個言いたい事があって、せりふを多くすれば10個全部伝わりますが、読者的には読むのがだるくなります。逆に私のやりかたはいつも、せりふは少な目にして、4個くらい正しく伝われば良くて、あとの6個は読んだ人がそれぞれ解釈してくれるのが良いというものです。勘違いされて解釈されてもそれはそれで面白いですしね。
[その3]
これは全然違うパターンです。「彼らがメインキャラですよ」を1話目で読者に印象づける事を目的に描きました。漫画の第一話っぽさが良く出ているので、今度のヤングキングの打合せでも活用します。
[その4]
これは、「これがこの漫画のテーマですよ」を1話目で読者に印象づける事を目的に描きました。キャラクター優先の漫画か、テーマ優先の漫画かで、「彼らがメインキャラですよ」or「これがこの漫画のテーマですよ」のどっちが1話目にしっくりくるかが変わると思います。前の連載予定だった媒体では、これが第一話の決定稿でした。
「杉村くん」のテーマは、自分が自分のまま受け入れられる事による救いです。不良グループがゆりかごとして機能していたという事です。人が健康的に成熟するためには、自分が自分のまま、特に子供時代に子供らしくいられる場所が存在していたかが必須です。本来は親がその場所になります。けれどもその親が心理的に成熟できていない場合、子供が子供らしくしているとむかついたりして、その場所として機能しません。毒親の基本にあるのは全てそれです。例えば子供に何かを押し付けすぎる親は、心理的に成熟できていないために不安が強く、子供が子供らしくいると良くないと感じて過干渉になります。逆にネグレクト系の親も、心理的に成熟できていないために自分優先になり、育児を放棄します。
毒親というと、ここ10年くらいでよく聞くようになった概念ですよね。杉村くんを何パターンか作ってる最中に担当編集者と、「昔から毒親っていたんでしょうか?いたとしたらなぜ今ごろ問題になりはじめたんでしょうか?」という話題になりました。日本には毒親は昔からゴロゴロいたはずです。なぜなら「巨人の星」が大ヒットした国だからです。父ちゃんの星一徹が息子の星飛雄馬を巨人軍に入れるためにスーパー虐待特訓をする漫画です。その後もそれのお受験バージョンで、教育ママなんて言葉もありましたしね。本人が未成熟なために子供に何かを押し付けすぎる親、それは今も昔もありふれていたんじゃないかと思います。
ではなぜ今ごろ問題になりはじめたのかというと、私はそれは、現代は「うるせえババア」が言えなくなった時代だからだと思っています。昭和の時代は星一徹や教育ママスタイルの未成熟親に対し、「うるせえババア」的な態度がとれました。簡単に言えば権力に歯向かうのがクールという価値観が日本全体にあったのです。直接そういう系の事を言う人もいましたし、意外と真面目とかおたく系の人でも、基本スタンスが「うちの親うぜーんだよなー」で、根に反抗心やオラつきを持っている人が多かったです。そして塾をさぼったり、普段のうっぷんを似たようなうっぷんを抱えた悪い友達とつるんでルールを破る行動をする事で解消できました。毒と距離をとる事ができたのです。そして親よりも友達が生活や価値観のメインになっていたのです。そしてその中でルールを破ったりする事こそが、子供が子供らしくいるという事でした。子供は社会のルールなんてよく知りませんからね。また、毒親からの「何かを押し付け過ぎる」とはルールを押し付けすぎるという事だから、ルールを破る事で疑似的に親に反抗できていたというのもあります。そしてあまりにルールを破りすぎると大人に強めに怒られて、破っちゃいけないレベルを学びました。それが社会を学ぶことであり、成熟する事だったのです。
けれども社会が発展するにつれて、親が子供を支配するレベルも上がっていきました。「うるせえババア」が言いづらくなってきたのです。モラルも向上して、子供の側も「親にうるせえババア的な態度をとってはいけない」という思い込みも強くなったと思います。権力には従うという価値観が強くなったんですね。すると毒と距離がとれなくなります。生活や価値観が友達メインではなく親メインになります。塾や習い事も学校に休まず通う事も親に守らされているルールなので、物理的に周りに友達がいても、親の価値観に支配されている事に変わりはありません。未成熟だから不安が強くて子供に何かを押し付けすぎて支配するわけなので、明らかな毒です。子供のためではなく自分の不安のためですもんね。そして子供はルールを破る事ができず、つまり子供が子供らしくいられないという事になります。うっぷんの解消の機会も無くなります。そして心を病んでしまい、病気になったり極端な行動をするようになってしまうのです。
これって子供はもちろん、親も苦しいですよね。子供を支配するという事は、親の「これやらなきゃ」が増える事でもあります。負担が増えるのです。いくら支配したところで子供は出来ない事ばかりです。そして未成熟なので子供が子供らしい、つまりうまく出来ない事にも腹を立てます。それで子供は萎縮してさらにうまくできなかったりします。星一徹も星飛雄馬が何かうまく出来ないと腹を立てて鉄拳をおみまいします。苦しみの連鎖です。
日本人は物事を深く考える癖があります。そもそもの日本語が表現が複雑で、相手に与える印象を考えながら話さなきゃいけない事が多いですもんね。なので考え過ぎ&悩み過ぎが日常です。だから不安になり、リスクを避けようとする癖がつきます。そして日本は戦後に急激に発展しました。お金儲けばかり重視され、心は軽視されたままの発展でした。だから過労自殺するまで働かされるのです。社会の発展やお金稼ぎは理屈による営みです。心は理屈からは離れた営みです。そして人間の本質は心ですよね。お金はただの紙と金属です。そして、社会が紙と金属ばかり優先して人間を軽視したから、子供の心も軽視されるようになったんだと思います。子供が子供らしくいる、つまりゆりかごがどうとかは理屈でうまく説明できるものではありません。だから理屈で説明がつく偏差値とか学歴とか何かで良い結果を出すとかのほうが良いような価値観が生まれてしまったのではないでしょうか。
「杉村くん」は、自分自身そういう現代の生きづらさを感じ取っていた中で描き始めた漫画でした。思い返せば家庭環境の悪い友達が多かったです。でもみんなうるせえババアマインドで友達メインの生活をし、そしてそれなりな大人になっていきました。そうなんです、別に親が不安になって支配しなくたってそれなりな大人になるんですよね。もちろんいきすぎた不良は事故とかで死んでしまいました。じゃあやっぱ死なないために支配しなきゃってなりますが、すると今度は心の病気のリスクが上がります。つまりいいとこ取りは出来ないんです。事故で死ぬよりは心の病気のまま生きていたほうが良いのかもしれません。いやでも苦しみながら生きるくらいなら死んじゃいたいという気持ちもすごく分かります。答えは無いですよね。それが、心は理屈を超えた営みという事です。ただ、私は不良グループで良かったと思います。それは、毒親どうこうが関係ない、なんか変な感じに生まれてしまった人にとってのゆりかごでもあったからです。弱くて変な個体だった私が今ここでこうしていられるのは、子供時代にそのゆりかごで子供らしくいられたからです。そして支配されすぎて病んでしまった妻や友達、たぶん前の担当編集者もそうだったんだと思います。そしてこのブログを読んで自分も辛かったなと思い返しているあなたを思い浮かべながら、杉村くんやその他の漫画を描いています。そして杉村くんは不良ネタなので人によっては「ウッ、不良か~…」となってしまうと思うので、もうちょっとポップに描きかえたのが「カワムラくん」というわけなのです。第三話もぜひ楽しみにしていてくださいね。第三話はまさに家族の話です。
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