[#未来のためにできること] オッサンの気づき 第30話 ~未来に気づいた!~
これは私が普段よく考えている事です。ここ10年くらいで色んな死を身近に感じていました。年齢的に親戚が亡くなるのはもちろんですし、周りで亡くなった人はもっといたりするんです。ペットも4頭亡くしましたしね。そして私も妻も常に具合が悪いです。妻は毎日たくさん薬やサプリを飲んで何とか生活できている感じですし、私なんて心臓を悪くしてしまった上に、ずっとひどい不眠症ですもんね。心臓が変な動きをする度に嫌な気持ちになります。暗〜い未来を想像します。
死について毎日考えるようになったのは、2014年に妻の父がガンで倒れ、介護を始めるようになってからでした。末期だったため入院はせず、家で日に日に弱っていく姿を毎日見ていました。元気なうちは一緒に旅行や食事に行ったりして、今まで以上に一緒にいる時間が増えました。その一方、私には理解できないひどい事を、妻の母と兄が父にするのも見ていました。それでも死を受け入れ、自分の身辺整理を自分でし、1年後に亡くなってしまいました。それ以来、生きるとは、死ぬとは、そして家族とは、人とは、人の心とは、善悪とは、一体何なのだろうと毎日考えるようになりました。死を受け入れるとは言っても、当然最後のほうは絶望しか無いのです。倒れたのは突然だったので、ほんの1年前までは自分がもう死ぬなんて考えもしなかったはずです。倒れたあの日を境に義父の日常は全て崩れてしまったのです。そしてそれは明日自分や妻に起こることなのかもしれないのです。それからしばらくして、2016、2017年あたりから今のような漫画を描き始めました。
今回の漫画に描いた事は、自分で作った自分への宗教だと思っています。宗教の始まりってたぶん、集団を安全に統率するためですよね。こういうことをやっちゃいけないとか、世界はこういう仕組みだから頑張ろうねとかそういう事です。さらにその中には、日常の嫌な事への向き合い方も含まれると思うんです。例えばキリスト教やイスラム教では何か嫌な出来事に対して、「それは試練なんだよ」という教えがあります。仏教だと逆に「世の中ってきついもんなんだよ」という教えがあるのです。そして死ぬ事って嫌な事の究極バージョンですよね。それに対してもキリスト教やイスラム教では「死んだら天国(時々地獄)に行けるよ」と教えますし、仏教では「死んだらまた別の生き物に生まれ変わってそこで良い事をすると天国に行けるよ」と教えます(普通に天国に直行するパターンの教えもあります。)。つまり、嫌な事をそんなに嫌じゃないふうに教えているんですよね。普通に考えて、例えば自分の友達とか家族が死んじゃって、しかも死んだら全部ゼロになるなんて考えたらすごく悲しいですよね。毎日楽しくてもいつか死んじゃって悲しむ未来がやって来るのか…とか考えるとどんよりして楽しめません。それだと何で生きているのかわからないし、やけになって悪い事をする人も続出しそうなので、死後の良い感じの世界を設定して、生きているうちにどんよりしたりやけになる人が増えてヤバイ感じの未来になるのをストップする役割が、宗教にはあるのだと思うんです。そして私は何か宗教を信じているわけではないですし、しかも毎日暗〜い未来の事ばかり考えてどんよりし始めたので、何となく死後はこんなだったらいいな…と考え始めたのが、今回の漫画の内容です。
宗教には「考えを外注する」という要素もあります。日々の生活って全部を全部自分で判断してたら疲れちゃいませんか?そんな場合、例えばキリスト教には「これは罪です!」が7個あります。わがまま、なまけ、よくばり、エロすぎ、食べすぎ、他人をうらやましく思ってむかつく事、怒る事、です。結構これって今でも通用しますよね。普通に自分の心や体に良くないし、トラブルのもとです。でも、ついついやっちゃうことでもあります。もしさっき新作ゲームを買ったとして、「なにこのゲーム、バグだらけじゃないか!怒りのレビューを書いてやる!!(カタカタ)えっと、こことここと(カタカタ)、あーもっと怒りが伝わる表現に書き換えよう(カタカタ)。…ふう~、3時間もかけて長文のレビューを書いてやったぜ!」なんてやってたら疲れますよね。そこで「なにこのゲーム、バグだらけじゃないか!怒りのレビューを…と思ったけど、キリスト教では怒りは罪ルールがあるからやめとこう。天国に行けなくなっちゃうもんね」…とルールにしたがってストップしてれば、結構ラクな気がしませんか?イスラム教の人がこまめにお祈りするのも、今日くそゲームを買っちゃってむかついててもお祈りという天国向けのポジティブアクティビティをすることで気持ちを切り替える効果がある気がするんです。
そして日本って無宗教ですよね。ストップルールがないから↑↑のダメな7個にはまりこみやすいです。さらにお祈りイベントもないので気持ちが切り替わるきっかけもありません。さらに無宗教だと、嫌な事を試練ではなくそのまま受け止めるしかないので、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだとストレスがたまって人生バカバカしくなりやすいです。ヤバ未来のもとです。でもそんな中、日本は宗教の代わりにある文化が発展したと私は思ってるんです。それはアイドル、バンド、あとひろゆきとか西野亮廣的な年配インフルエンサーたちです。これらを私は「考え方の師匠」文化と呼んでいます。考え方の師匠に「考えを外注する」んです。例えば無駄遣いがやめられなくて自分が嫌になるけどどこから削ればいいかわからないという人が、ひろゆきの「こういうお金の使い方はバカ」みたいな動画を観れば「そうか!こういうのがいけないのか!」となって無駄遣いストップにつながるわけです。キリスト様がよくばりは罪って言ってるから無駄遣いはやめようとなるのと一緒ですよね。あと先日幕張でELLEGARDENのライブがあって、そこで「みんな毎日何かしらと戦ってて大変だと思うけどいつかまたここで再会しましょう」という意味のMCがあったのです。それってイスラム教の、断食の期間とても辛いけどそれを耐えたあとのごはんはおいしいしありがたいという感覚に似ていますよね。毎日仕事とかで大変だからこそ、たまにのライブが楽しくてありがたいのです。未来に希望が出てくるのです。あと単純にライブは、他の事はいったん忘れて目の前のステージに集中するマインドフルネス効果があります。お祈りも神様に集中するから一緒ですよね。みんなで賛美歌を歌ったり、お坊さんのお経を聞いたりするのも、ライブとやってる事は一緒です。実際、そんなふうにステージ上や画面内にいる自分のヒーロー的な人の言葉に救われた人は多いのではないでしょうか?日本はバンドブーム、中でもロックバンドの人気が長く続いているのが、その証拠だと思います。ロックの根底にあるのは苦しみの共有ですしね。そしてそれは、最近のアイドルにも同じ傾向があると思います。さらに個性的なバンドやアイドルなどには熱心なファンがついて、よくその関係性を「宗教みたい」と揶揄される事がありますが、それって偶然じゃなくて、本当に宗教と同じ効果があるんだと思うんです。そしてそれは人が生きていくために必要な事だとも思うんです。だってこの国は交通事故より自殺が多い国なのですから。
でも一方私は、以前のブログにも書いたとおり、受け身の娯楽にいまいち夢中になれないんです。ライブも好きですしYoutubeで誰かの考え方を聴くのも好きですが、それはそれで、自分は自分なんです。「考えを外注する」が苦手で、「考え方の師匠」が存在しないんです。すると嫌な事は嫌な事として向き合うしかなくなってしまうんですよね。そういうのが積もっていって不眠とか心臓の病気の原因になっていたのもあると思います。そしてこれじゃあ心が大変だなあということで、無意識に自分宗教を想像するようになったのでしょう。周りに死がちらつき始めた事や、妻ちゃんの人生を見届けなきゃという事がきっかけですよね。自分で自分にヤバ未来が来る事をストップしているのです。心臓の動きや夜眠るという生き物の基本がバグって嫌な気持ちになるたびに、「これはきっと何かあるぞ、試練…というかこの世はRPGで、今攻略が難しいイベントが起きている…!この考えている事もピコピコピコーと画面に文字が表示されているはず!」とよく考えています。
ちなみに、そのよく言われている死後の世界ですが、私は意外と本当にあるんじゃないかと思っています。なぜなら昔から言われている事って、割と科学的にも合ってたりするんです。例えば感情が関わる慣用句にはお腹に関する言葉がつくものが多いですよね。「腹が立つ」「肝っ玉母さん」「腑に落ちる」などです。そして最近、メンタルに作用するセロトニンというホルモンは腸で多く作られる事が分かってきたのです。つまり実際に感情と腸には関連があったのです。英語でも根性的な意味を表す「ガッツ(Guts)」という単語がありますが、Gutsは腸の意味でもあるんです。要するにたぶん昔の人は感情が動く時、何か腹のあたりがむずむずするな~と感じていたんですよね。
それ以外の慣用句でも、「病は気から」は、ストレスがたまることで免疫力が下がることと関係してそうですし、「三つ子の魂百まで」も、小さい頃親から受けたモラハラは、大人になっても影響が残るのと一緒です。やっぱり昔から言われてきた事は実際に合ってたりするんです。そして、現代は2023年ですが、人間の歴史はそれより何倍も長いので、その長い間にたまたま2回か3回、何かのきっかけで「うわ、死んだ後の世界見ちゃった!」的な人がいたんじゃないかな~と想像しています。だから世界中の宗教で、どうも死んだ後も何か世界があるっぽいよという情報が共有されているんじゃないかと思うんです。
私は日々心の病んだ妻ちゃんを支える人生なわけですが、時々「なんか自分はこの妻ちゃんキャラを支えるようにキャラ作成がされてる気がするな~」と感じるんです。例えば妻ちゃんの抱える毒親育ちメンタルも、私の場合おばあちゃんにほんの少し毒親要素があてはまるので、妻ちゃんの毒親ネタも「あ、これ知ってる感覚だ」と共感できるんです。もし私が全く毒に触れていない子供だったら、全然共感はできなかったと思います。また不良の多い地元だったおかげで、細かいきまりに縛られない性格になり、メンタルを病んでしまった人によくあるイレギュラーな行動にも柔軟に対応できるのです。そもそも2歳か3歳の頃、人生最初の友達が毒親育ちでその後スーパー非行メンになったので、今も昔も毒もイレギュラーも身近なんです。そういう環境だったので趣味も健康的なスポーツとかじゃなくてパンクロックとか漫画とかのサブカル方面に行ったのも妻ちゃんと一緒ですし、私は高校で美大受験を始めたため不良方向に行き過ぎなかったおかげで、大人になってから妻ちゃんと知り合うルートに行けた気もするんです。つまり、色んな経験が良い感じにバランスよく人生に配置されていて、今の妻ちゃんお助けキャラが出来ている気がするんですよね。どの経験が欠けても、今の状態は無かったはずなんです。それって偶然じゃなくて、最初から妻ちゃん攻略をするRPGが進んでるってことなんじゃないかなと考えています。そして、そのRPGをプレーしてるのは、3043年のモッズファッションの私本体なのかもしれない…というのが今回の漫画のオチです。
何にしても、宗教は人を安全に統率し、嫌な事を軽くし、ヤバ未来を防止するためにあるとしたら、今自分が自分の考えで自分を統制して安心させていられるのは、まさに宗教だと思うんです。「宗」はみんなという意味なので、宗教より俺教というほうが正しいかもしれません。そしてそれをこんなふうに漫画にして見せるのも楽しいですし、読んだ人も「なにこれうける」ってなると思うんです。そういうおもしろ連鎖ができているのも、何かしらのキャラ作成がされていたおかげな気がしています。そういう考え方の積み重ねが、明るい…とは言わないまでも、まあまあな未来につながるのではないでしょうか。
[おまけ]
最後の未来のシーンは、未来人の服装をどうするか結構悩みました。よく昔の映画とか漫画では、未来人は変なピチピチスーツを着ていますよね。
でも、これってかっこ悪いから実際は着ない気がするんです。日本人は時代がすすむほどオシャレになりましたし。なので、ファッションでよく言う「流行は繰り返す」をもとにして、繰り返し過ぎてもう新しいものは生まれなくなって、過去のリバイバルファッションをみんなが自由に着ているという服装にしました。それぞれの元ネタについて説明します。
[私]
これは60~70年代のモッズファッションをモチーフにしました。
実際、私が高校生の頃(90年代)にもリバイバルブームがあって、私もよく着ていました。マッシュルームカットにピシっとした服で、ビートルズっぽいというとわかりやすいと思います。
[妻ちゃん]
これは50年代のロカビリーファッションをモチーフにしました。80年代にもネオロカビリーのブームがありました。
今だとほとんど見かける事はないですが、代々木公園の前で現役世代の人たちが、こういう格好をして今でも踊っています。男性はリーゼントに革ジャンです。
[飼い犬・プーティン]
2000年代にお祭りとかでギャル男の人が浴衣を着ていた感じをモチーフにしました。そこにこれはプーティンですよとわかるように、同じ柄を入れました。
そもそもの和服=侍みたいな要素も入れたかったので、髪型はちょんまげっぽくしました。
[友達1]
2000年代のヤンキーファッションをモチーフにしました。クローズが流行っていた頃です。
当時、恵比寿系のブランドを扱う会社でバイトをしていて、よくそれ系がクローズコラボをリリースしていました(この画像も、その会社とマスターマインドのコラボジャケットです)。高価だったので実際の購買層はヤンキーというよりもっと歳上の世代だったと思います。ドクロモチーフが多かったです。
[友達2]
90年代の裏原ファッションをモチーフにしました。
今もこの時代の雰囲気はリバイバルされていますよね。上下ともにルーズです。
[母ちゃん]
大正時代~昭和時代のモガの服装をモチーフにしました。1920年代です。
飼い犬プーティンの時と同じく、服の柄を一緒にしてこれは母ちゃんですよとわかるようにしました。
[2021年に死んでしまった友達]
現代風なオーバーサイズと、サメパーカーをモチーフにしました。サメパーカーは一時期、オタク的なアイコンとして流行っていた印象です。その友達もオタクだったので、アニメイトの袋を持って同一人物アピールをしています(画像が小さくなりすぎてanimateの文字がつぶれてしまいましたが)。
一つ現代風な服装も入れたかったのですが、あまり漫画っぽくならなかったのでこの方向にしました。彼の急死も私の死生観に大きく影響しました。よく一緒に都内で飲んでいたので、地元から引っ越してからは、一番身近な友達だったのです。漫画にも描いた通り、死んでしまう2日前も普通にメールしていたので、本当に突然でした(今年の冬は寒くて体調が良くないとは言っていました。)。まあでも今頃、これを書いているのもゲーム上で彼から見られていると考えると楽しい気分になります。
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