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【連載エッセイ】踊る!LA紀行②

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02 LAでの生活

LAでの生活は、のんびりとした、とても快適なものだった。

スケジュールは基本的に自分ですべて決定ができたので、近くにあるダンススタジオのレッスンスケジュールとにらめっこをしてスケジューリングをした。
レッスンは大体1日に1個、午前中からのものもあれば午後・夕方からのものあったので、そのレッスンの時間に合わせて、1日の予定を決めていた。
ほとんどの時間が自由時間であった分、いろんなところを歩き周った。現地スタッフにあまり知らないところに行かないようにと言われていたので、行動範囲は限られていたが、おかげでそこそこLAライフを満喫したと思う。

レッスンには、徒歩圏内にあるところにも行っていたが、よく行っていたところはバスと電車を乗り継いで行っていた。
そのスタジオはHollywood Vineにあって、いくたびTHE アメリカを感じられてとても楽しかった。丁度そこが「Hollywood Walk of Fame」の通りで、名前が掘られた星を見ながら歩くだけでワクワクした。
初めて1人でレッスンに行ったとき、バス停からスタジオの道を迷ってしまって心臓をバクバクさせながらも、山の方を見るとあの有名なHollywoodの看板が目に入って、アメリカだ~~~と焦っているのも忘れてテンションを爆上げさせた。
それぐらい目に入るすべてのものが新鮮で、心をウキウキとさせた。

ちなみに、このレッスンには結局遅れてしまい私はダッシュでスタジオに入り込んだ。
そのレッスンがバレエのレッスンで、急いで空いているバーについた姿が漫画「ダンシング・ジェネレーション」(作・槇村さとる先生)の愛子ちゃんを彷彿させて自分の中で少し笑ったのをよく覚えている。
普段だったらきっと恥ずかしさで消えたかっただろうが、周りが英語ばかりで何を言っているかわからないからこそ、周りの目を気にせずなんともなく過ごせた。

レッスンが終わったあとは、Hollywood Highlandの駅まで歩いて帰った。
アカデミー賞のグッズやいかにもアメリカなお土産を売っているショップに寄ったりするのが日課になっていた。そこでJelly Beansを買ったり、日本に送るカードを買ったりした。Hollywood VineとHollywood Highlandの駅の間ぐらいにあって人も少なく、ゆっくり見れてお気に入りのお店の1つだった。あぁ、また行きたいな。

スタジオ以外に私がよく行っていたのは、寮の近くのスーパーだった。
自分の食事は自分で用意する必要があったので、自炊のためほぼ毎日通い詰めていた。
あまりにもビックサイズのものしか売ってなかったので、お肉とかは買う勇気はなかったが、現地スタッフの人にアドバイスをいただきながら、パスタとかをよく作って食べていた。パンはシンプルなものを買ったつもりだったのに、なぜか独特な匂いがして、クリームチーズを塗ってごまかして食べていた。
あとは、日本から持ってきたお米を炊いて、チャーハンにしたりオムライスにしたりした。もちろん炊飯器なんて寮になかったから、キッチンの前に椅子を持ってきてお鍋で炊いたのはいい思い出である。
実家住まいで、料理はまったく得意ではなかったが、意外にもなんとかなったのだった。

このスーパーに限らずだが、アメリカの店員さんは基本的にまぁやる気がなかった。特にこのスーパーの店員さんはいつもやる気がなくて最低限のことしかやらず、いつもけだるそうな顔をしていた。一度卵の場所を知りたくて勇気を出して店員さんに聞いたとき、なにも言わずに卵がある方向を指を刺されたのには度肝を抜かれた。

だけど、その一方でアメリカ人は見知らぬ人にフレンドリーな人が多かった。道を歩いていて目が合ったらにっこりと挨拶をされることは日常茶飯事だった。最初こそ少しびっくりしたが、ちょっとぶりっ子気質のある私はすぐに慣れた。笑って手を振れば向こうも嬉しそうな顔をしてくれたから、基本的に挨拶をしてくれたら挨拶を返すように心がけた。

外国人はよく日本人は優しいと言うが、そんなことないんじゃないかなと思った。あの挨拶をする姿を見た私は、日本に帰ったときそう思ったのをよく覚えている。

メンタルボロボロでLAに着いた私にとって、このゆるゆるとしたこのLAライフはとっても心に染みた。こうしてまんまと私はLAの魅力に惚れこんでいったのだった。


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踊る!LA紀行はこちらにまとめております。
気になる方はぜひご拝読ください◎



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