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どーせ同じ道ならば、歌でも歌って好きに行こーぜ。

私はちいさな葉っぱなのだ。

今、ものすごい大きな流れの中にいるなあ、と、仕事を終えて帰ってきて、畳にごろーんと大の字になりながら考えている。

そんなにたくさんのものが無くても良いのにな。

笑って起きることができて、おいしいご飯を作ることができて、陽の光を浴びて仕事をして、あったかい布団にくるまって眠れたら。

友達も何人かいて、夢を語れるような。そしてそのうちに、そばに来てくれる人が、居てくれる人が見つかったりしてさ。

そんなに多くを、望んだりしないのに。
あっ、でも旅はしたい。
旅人であることは譲れないぞ。

でも、私も立場が違えば、もっと欲しい、あるだけ欲しい、と思ってしまうのかな。
お金も、地位も、名誉も。

小さい頃、ツユクサやチカラシバなんかで草舟を作って流したが、いつもひっくり返って見えなくなった。今の私はきっとあれなのだ。

自分を取り巻く大きな渦に目を瞑れば、今だとばかりに大切なものがすぐそばを流れされていく。自分も、流されている。

今日は見えたけれど、取り溢したたくさんの大切なものがあるのだろうな。
だからこそ、大きな流れなのだろう。

行き着く先は、必然なのかもしれない。
いろんな星の、たくさんの知的生命体が辿った同じ道を、地球という星の人間という生き物も、歩いているに過ぎないとしたら、ちょっと安心する。

だから、そんな世界の中で、ちいさな葉っぱであることがほんの少し、嬉しいと思う。

畳の上でギターを抱えて歌を歌う時間。

ありあわせの材料で作ったごはんが、とても美味しかったとき。

あったかいスープが、足の指の先までしみていくとき。

暮れていく空の中に、金星を見つける瞬間。

1泊300円の宿が、人との出会いに溢れた場所だと知れたこと。

暗い場所からでないと、星は見えないこと。

そんななんでもなく流れていく時間の中に、たくさんの小さい光を見つけられる自分で良かった。

それを幸せだと呼べる自分で良かったのだ。

これから先、私は苦しむかもしれない。泣くかもしれない。目を開けているのは辛い。瞑ってしまうこともあるかもしれない。
それでもその気持ちが、心のどこかに必ず在って消えないと信じている。


すべての存在が同じ道を歩くなら、自分の足で、歌でも歌って歩いていきたい。

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