見出し画像

阿部幸大氏"「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由"に驚愕した田舎者の私

現代ビジネスに記事が公開されるやいなや大きな反響を読んだ、阿部幸大氏の「『底辺校』出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」についての感想をつらつらと書いてみたいと思う。

最初に言っておきたいことは、自分は田舎を嫌っているわけでも見下しているわけでもないし、若者よ大志を抱け東京に出よ!と言いたいわけでもないということ。今まさにGWでド田舎に帰省しており、カエルの大合唱と風にそよぐ木の葉のざわめきをBGMに読書したり散歩したり縁側で昼寝したり畑から採ってきたばかりの野菜を腹一杯食べたりと、大自然の恩恵にどっぷり浸かっているところだ。田植えも手伝って全身筋肉痛だ。とにかくイケハヤ氏よろしく田舎を満喫している。はっきり言ってサイコーである。

次に言っておくべきは「お前だれだよ」ということだと思うので概略を書いておく。自分は1989年に北関東の田舎に生まれ、小中は家の近くの1学年20人(※1クラスではない)の学校に通い、学区内の県立高校にゆき、その後地方の旧帝大といわれる大学に進学し、現在は東京にあるIT企業の社員として働いている。それぞれのタイミングで東京との差を感じていた。

さて本題。

ある平日の朝、職場の方から「あなたと似たようなことを言ってます。」というメッセージと共に記事のURLが送られてきたのが記事との出会いだ。忙しい朝にどうしたのだろうか?と思いつつ読んでみると、なかなかにショッキングであった。

記事の内容については、私も常々周囲に言いまくっていたことなので特に驚きはなかった。なにより戸惑いを隠せなかったのは、

「本稿がその実現にむけた小さな一歩となることを願っている。」

という最後の一文だった。この格差については、みんな知ってるけど気にしてないだけかと思ってたけど、記事が問題提起になるくらいそもそも格差を感じている人が少ない/あるいは存在しないということに驚いた。さらにその後、Twitterで反響を調べたら想像以上に問題提起としての役割を果たしていることにも驚かされた。

記事を共有してくれた首都圏出身の方にこの驚きを伝えると

「私は、その部分の認識が完全に欠落しているなと日々感じております。社会人になって、東京が特別、地方が普通と思うことがあったのですが、その後、さらにこういうことなんだなーということを知りました。まだわかるけどわからないという状態だと思います。特別というか、異様ですね」

という返事をいただいた。東京出身の人がその特別さに気づくことは困難だと分かってはいたけれど、「わかろうとしてもわからない」という状態であるという本音を教えてくださった。ありがてぇ。

インターネットの登場で情報格差や教育格差は小さくなったとは言い難いと思う。多くの人がGoogleで検索できるようになったが、ググるためにはそもそも検索しようと思う単語と出会う必要がある。この出会いはネットやテレビをウォッチしてるだけでは訪れないものも相当に多く、ググる以前にそもそも存在を知らないから疑問に思ったり興味を持ったりすることすらない。生きてるだけで勝手に入ってくる情報の量や質に、田舎と都会ではそれはもう圧倒的な格差が存在しているということを否定するのはなかなか難しいと思う。

地方と東京に存在する職業の種類は桁違いで、東京には平日の昼に遊んでいる(ように見える)大人がうじゃうじゃと存在する。田舎で平日昼に出歩いているのはだいたい主婦だが、東京で平日昼にぶらぶらしている人たちは何を生業としているのか、田舎者にとっては見当もつかない。また1日の時間の使い方も全然違う。例えば国立新美術館に行くぞ〜となったら、田舎からでは1日あるいは2日がかりなうえに、帰ってきたら見知らぬ土地を巡った疲労でぐったりである。家に着いたら風呂入って寝る。東京在住だったら美術館を午前中に済ませて、とくに疲れもせず、むしろ知的好奇心や想像力がむくむくと刺激されて午後は活発に行動できるかもしれない。

中学、高校、大学とそれぞれのタイミングでこのような格差を感じ続けていた。しかし「生まれた場所が悪かったね」などというようなことでは、決してない。思春期の自分はそう感じていたこともあったが、今となっては田舎に生まれてよかったと思うことも多い。再三になるが、決して田舎を捨てて東京に出ろと言いたいわけではない。こういう風に生きてほしいと押し付ける気も毛頭ない。いろいろ知ったうえで田舎に居続ける人もたくさんいるし、人がいないと愛すべき田舎が死んでいくし、向き不向きもある。地元に残っている友人たちは、意思があり、しなやかで、このような人間になりたいと尊敬できる人も多い。ただ、今は「いろいろ知ったうえで」残っているわけでなく、「いろいろ知らない」から田舎から出ない人もたくさんいるということも現実としてそこ存在している。田舎がいいか悪いかとか、そうじゃない人もいるとか、そういう話ではない。放っておいても何かに刺激を受けて情熱を持って行動できる人がいることは自明であるが少数だと思います。そうではない人もたくさん存在すると思います。あなたの会社は優秀な人材だけが揃っているのでしょうか。

ただ、そうじゃない人もいる。そうじゃない人が、自分に合う世界がある、広い世界がある、ということを「知って」、「理解」して、さらに「行動」できるようにしたい。そもそも知らないという人が気付けるように。聞いたことがある程度の人が認識できるように。理解している人が、実行できるように。いろんな機会を均等にして、生まれ育った土地は関係ないぜと言えるようになるといい。

ではどうすればよいのか?正直まだわからない。

最近自分は「地方の子供に広い選択肢を」「学校(的なもの)を作りたい」と周囲に言っていたが、具体的にどういう風に、というところはまだぜんぜん考えられていない。けど、阿部さんの記事にたくさんの批判も寄せられるような状況であるなら、まず問題提起からなんだなぁということはわかった。自分にできることはほとんどないので、わーわー言ってみることから始めようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?