記念すべき初日

2.26.2024

2回の徹夜は多分初めての経験だった

一睡もせずに渡航当日を迎えた。
トランクルームの整理が間に合わなくて、タクシーでトランクルームと出ていく家を1往復してから空港に向かう。11,800円だった。
見送りは姉のさとみんと友達のなっちゃんが来てくれた。
先にさとみんに会った。さとみんが心配した。私は2回の徹夜で唇が青くなり、顔面蒼白だったらしい。

海外渡航は空港の到着時間が国内線とは違って1時間早い。しかし、私は国内線と同じ2時間前に到着してしまった。
さとみんになっちゃんも来ることを伝えていたが、さとみんはなっちゃんに会えていないと言った。
なっちゃんは手荷物預かり所に私の代わりに並んでくれていた。私はなっちゃんにデニムの上着、テネシーウィリアムズの回想録、スーツケースのバンド(ナンバーがわからなくて使えないやつ)をあげることで、3キロオーバーしていたスーツケースの重さを軽くした。無事に手荷物を預けて、さとみんはなっちゃんと私を残して帰った。
なっちゃんはVlog用のビデオを搭乗ギリギリまでスマホで撮ってくれて、絶対に私が買わない色、ピンクのネックピローをプレゼントしてくれた。

搭乗した。右隣のおじさんが優しくて、日本の写真を見せてくれたりした。どこの国の出身だったのか、英語がまだ聞き取れなくて、聞いたけどよくわからなかった。乗り継ぐ空港はイスタンブール空港だから、多分トルコ。
左隣のお兄さんは心配になるくらいずっと寝ていた。2食の機内食も食べず、トイレに行くこともなかった。

約16時間だったか。2回の徹夜を取り返すように私はたくさん寝た。
だいぶ回復したら、「ザ・クリエイター」をドイツ語音声の英語字幕で観た。渡辺謙が出演していた。海外の映画で日本人の設定だから時々日本語を喋るということはよくあるけれど、なぜあんなにヘンテコな日本語のセリフが多いんだろう?「きっとこの子がこの世界を救ってくれる。」渡辺謙が喋っても変に聞こえて不思議だった。
「ラジャー」「了解」がドイツ語だと「Ich verstehe.」(いひ・ふぁーしゅてーへ)だと覚えた。

到着。イスタンブール空港はとても広くてカッコ良かった。VIP待合室の場所がわからなくてキャンセルした。
とても広くて、遠かった。搭乗口になかなか着かない。楽しくてたくさんムービーを撮って、換金所に搭乗券を忘れてきて一度戻ったりしたせいで、私は乗り継ぎに失敗した。

新しく空港のチケットを買った。約20万円だった。
ピリオドとコンマの使い方が真逆だから私は当初金額を勘違いしたのかもしれないと思ったりして、到着した後、空港に高すぎないかと問い合わせて見たけど、間違ってないと言われた。ちなみに、イスタンブールからベルリンまで、20万ってありえない金額。往復でも6万くらいだと後でググって知る。

タクシーの予約もしていたから、今予約しているタクシーを変更できないか、時間をずらせないか電話で相談することにした。英語が聞き取れない。途中でバイバイと言われて切られた。また電話をかけた、次は男性が出た。1分程度で意思の疎通ができないと気づいたのかすぐに切られた。この電話はなかなかのトラウマになったし、彼らの不幸を心の底から祈った。翻訳してリアルタイムで問い合わせに答えてくれるチャットツールを使ってやっと、予約したタクシーの変更はできないこと、別のタクシーを再度見つけることはこのサービスからはできないことを知った。
変な日本語の翻訳だから、最後の幸運を祈りますみたいなニュアンスであろう相手のメッセージが「キスして」ときて、イラついた。

でも、飛行機到着時間から、1時間しかタクシーが待ってくれないのはそもそも現実的ではなかったと気づいた。なぜなら入国審査に時間がかかるから。長蛇の列に並ぶ。どうしても時間がかかる。だから、もしも私がスムーズに乗り継ぎできていたとしても、私はこのタクシーに乗れなかったと思うことにした。

1時間のフリーWi-Fiを使ってFreenowをダウンロードしてタクシーの手配をした。まだ情報収集が足りなくて、プラス30分買い切りでネットを繋いだ。もう二度とイスタンブール空港は使いなくないと思ったし、もう二度とトランジット2時間の飛行機チケットは買わないと誓った。

ようやくベルリンの空港に到着。イスタンブール空港みたいなフリーWi-Fiは多分なくて、結局予約したタクシーと連絡が取れなくて運転手と会うことができず、多分全額キャンセル料を取られた。だけど、出口に出たら、日本の空港みたいにタクシーエリアがあって、全く問題なく「TAXI?」「Ja!」で乗れた。

ホステルまでは約50分かかった。とても丁寧なドライバーさんだった。なんか、日本でお世話になっていたフード専門のカメラマンのタナカさん(仮名)がドイツ人として存在しているような、そんな感じの人だった。
学校にも行かず、これから家を探して仕事を探すと知ったドライバーさんは、「困ったら電話して」と、名刺を渡してくれた。
ホステルに無事到着。すごくすごくドライバーさんは心配してくれた。
「ホテルで食べ物や飲み物は買わないほうがいい、高いから。ここからすぐ先にスーパーマーケットがある。そこで買うんだ」と名刺の裏にスーパーのお店の名前を書いてまた渡してくれた。
タナカドイツ人さんは、チェックインまで同行してくれた。

とりあえず日没までに到着できてホッとした。
ベトナムに初めて一人旅に行った時、すっかり真っ暗で、少し田舎だったからgooglemapが正しく場所を示してくれなくてホテルに辿り着けなくて、半分泣きながらカフェに駆け込み、タクシーを呼んでもらった経験がある。
もう二度とあんな思いはごめんだと思って、安いホステルを選んだから、また日没時間に到着したら周りが真っ暗でたどり着けないことがあるかもしれないと思って、なんとしても日没までにはチェックインしようとスケジュールを組んでいた。

ホステルは女性専用の6人のドミトリールームを予約していた。白を基調とした部屋で、日当たりが良好な雰囲気の写真を見て決めた。
指定された部屋のドアを開けると、そこにはまだ私以外に一人しかいなかった。ルームメイトとなるインド出身のアビー(仮名)が私と同じくらいのどでかいスーツケースを窓際にテーブル代わりに倒して置いて、自身は胡座を書いて床に座り、スーツケースの上にはパソコンを置いて、彼女はオンライン面接を受けている最中だった。
私は到着したらベッドに派手にダイブする夢を渋々捨てて、できるだけ静かに自分のベッドを探した。私の指定されたベッドは彼女が面接を受けているすぐそばのベッドだった。
大きな音を立てないように静かに荷物を整理して、布団に潜った。その日は食事も取らず、シャワーも浴びずに寝た。
だけど、午前2時に目が覚めた。日本だったら午前10時。私が最も活動的になる時間。「これが時差ぼけか?」と思って、もう一度入眠した。

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