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大雑把

新学期、小学校に提出する書類を母が書いていたときのこと。
家庭訪問のための学校から自宅までの地図(Google Mapを印刷するなんてできない時代だから当然手書き!)や、病歴や、緊急連絡先などと一緒に「お子さんの長所」「お子さんの短所」という欄がありました。

わたしは、母が長所になんて書いてくれるんだろう、とちょっとワクワクしながらそれを眺めていました。

「長所は、そうねえ、、」

と少し迷って

「小さなことにクヨクヨしない、大らかである。」

と記入してくれました。

わたし的にはもっと色々ありそうな気がしたんですが、母がそう云うのだから、きっと大らかだということは、その他の長所を超える素晴らしいことなんだ、と理解しました。

引き続き、短所の欄を考える母。

すると、

「短所か、そうねえ、、」

とわたしの方をちょっと見て

「大雑把。細やかでない。」

と書いたのでした。


一緒!!!


「お母さん、これ一緒だよ?」

と、わたしが云うと、母は初めて気がついた風のリアクションで、

「あ。ほんとだ。。」

と云ったのでした。そして、

「長所と短所って、表裏一体なのよ。」

と、からからと笑ったのでした。


お母さんのほうが大雑把じゃないか?


と、思ったのは少し経ってからのことでした。


—-

大人になっても時々このことを思い出します。

わたしって大らかで大雑把な人なんだな。

って刷り込まれた感じ。


まあ、大雑把なことも大らかなことも、生きていくには何かと楽な気質ではあります。


でもねえ、


きっと誰にでも、大雑把な部分と繊細な部分が本当はあるんですよね。

夫氏はわたしのことをいつもガサツだって云うけど、別の面においては夫氏の方がわたしから見て有り得ないほどガサツだったりしますもん。

自分のことを殊更に繊細である、と云うつもりはないけど、たぶんわたしの繊細なポイントは人と少しズレてるのではないかな、と最近思うんです。

その繊細な部分は、親にも見過ごされてしまったし、自分自身もあまり認めてあげられないまま、ここまできてしまったような気がします。

普通の人の繊細ポイントにおいては、わたしは確かに大雑把だから、一般的には大雑把な人間という括りなんでしょうけど。

色んな先入観、社会のステレオタイプであったり、小さい頃の親の何気ない一言だったり、そういうものに知らない間に囚われていて、自分の本当の気質みたいなものを見失っていることがあるのかもしれません。

—-


で、ここまで考えたときに


あー、わたしも子どもに同じことやってるかも!!


本当に何気なく、娘に対して性格についての刷り込みをしてたことに気が付きました。


うわー。やっちまった。


長い長い前振りでしたが、


今朝、コーヒーを飲みながら

わたしはめちゃめちゃ反省していた、

というお話でした。

コーヒー、おかわりしよう。

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