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「挑戦するのが怖い」そんな時に考えて欲しいこと

新しいことに挑戦したい、チャレンジしたい…。
でも、これまで積み重ねたものを捨てるのが、怖くもある…。
思い描いた通りの人生を歩んでいるはずなのに、なぜか満たされない…。

そんな思いに駆られたことが、ないでしょうか?

こんにちは。セルフメンテナンス協会理事の中村友香です。

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高校生の頃、思い描いた将来の夢

私が高校生の頃に思い描いた将来の夢は、「経営者の支えになる」仕事につくことでした。私の父は、中小企業を経営していました。毎日忙しく、家で過ごす時間はごくわずかでしたが、父が事業にかける情熱や、経営者の大変さは、幼い私でも分かりました。そんな父を横目でみるうちに、いつしか「経営者を支える人間になりたい」と、思うようになったのです。

高校生の私が選んだ職業は、公認会計士でした。理数系の科目は得意だったので、自分のスキルを生かして経営者を助けるなら会計士はぴったりだと思いました。会計士の合格率が最も高い慶應義塾大学商学部に進学することを決め、入学してからは1日16時間を丸2年、猛勉強の末念願かなって大学4年生で公認会計士2次試験に合格しました(一度大学3年生で落ちましたが)。

その後、地方の監査法人に入所し、4年間ベンチャー支援や上場支援等に関わりました。また、監査法人を退所後も5年間、数社の中小企業支援に携わりました。企業の中に入り、財務に加え、営業・広報・商品開発・MD・システム開発・採用・教育…。トイレと寝る時間以外はずっと仕事のことを考えているような、言葉通りがむしゃらに経営者の隣で働いた9年間。気付くと、私は会社を再生支援する実力も評価も収入も手にいれていました。こうして「経営者の支えになる」という夢は叶いました。

私は、29歳の頃、高校生の頃からみた理想のキャリアを歩んでいました。だから、幸せを感じられるはずでした。

なのに、当時の私はなぜか幸せではなかったのです。
いつも気持ちがモヤモヤして、イライラして、なんだか息もうまく吸えている気がしない…。  そんな毎日でした。

挑戦する自分の足を引っ張るのは、過去の自分だった

夢がかなったはずなのに、なぜ私は、楽しくやれないのだろう?当時はうまく説明できませんでしたが、今は少し、言葉にできることがあります。

1つは、「経営者を助ける」という夢を叶えてしまったからかもしれません。確かに私は、経営者を助けられる人間になれた。どんな業種でもどんな状況でもある程度までは再生支援できる経験と知識を手にいれた。しかし、皮肉なことに、そこで私の夢は一度終わってしまったのかもしれません。

もう1つは、「経営者の支えになる」仕事の限界を悟ってしまったためだと思います。私は、それまで極端に「左脳」的な生き方をしていました。会計士として、ドライで合理的な仕事を追求し、ムダを排除することで経営者に貢献することが、私の役割でした。でも、いつしか、人生の素晴らしさは、そのムダのなかにこそあるんじゃないか?自分は、経営者を助ける、つまり会社に利益を残すというサポートをする中で、その素晴らしさを切り捨ててはいないだろうか?と思うようになっていました。

それまで私が培ってきたすべてが、私の新しい夢の邪魔をする。

だったら、今度は思い切り「右脳」的な人生に挑戦してみようじゃないか。
私は、小さい頃からの憧れだったファッションの世界に飛び込もうと決意しました。ところが、そう簡単には事は運びませんでした。結局、私はファッションブランドを立ち上げたいと思いながら、1年間、全く何も動けずにいたのです。

多くの人が、チャレンジする生き方の素晴らしさを語ります。
でも私はそのとき、「多くの人がチャレンジしたいと願うのに、なぜそれができないのか」、よくわかりました。


それまで私が培ってきたすべてが、私の新しい夢の邪魔をするからです。


「会計士だから、経営に詳しいから、起業できたんだろう」そう思われることもありますが、私は「会計士だからこそ、ファッションという正反対へのチャレンジは本当に難しかった」と言いたい。

確かに私は、会計士として多くの会社の経営を見てきました。分析だけではなく、企業の中に入ってNo2として、経営そのものをやってきました。でもだからこそ、自分の挑戦がどれだけ無謀なものか、嫌でもわかってしまったのです。

私がそれまで武器としていた専門家としての知識が「なんで会計士がファッションブランドを?」「どうせやっても失敗するよ」「一体何のためにやるのか?」と、私自身に厳しいダメ出しを続けました。

周りの仲間たちの反対にもあいました。
‐ファッションの勉強はしたの?
‐会計士の安定を捨てたら戻れない。
‐アパレルは斜陽産業。
‐在庫を抱えなくちゃいけないから儲からない。
‐ニーズはあるの?
‐ターゲットは?

考えれば考える程、やる合理性は1つも見当たりません。

「それでも、やりたい」という私の気持ちは、どうやっても理屈では説明できませんでした。

そうして、「失敗したらどうしよう」と、私は怯えました。

まるでオバケのように、振り払っても振り払っても「失敗したらどうしよう」という思いは消えず、だからといってやりたいという気持ちも消えず、何も踏み出せない苦しい日々が続いたのです。

「なぜ、そんな生き方を?」に答えられなくても構わない

最後の一歩を踏み出せたのは、私の意志が強かったから、ではありません。

最後の一歩を踏み出せた理由。その1つは、大きな病気をしたことです。首に腫瘍ができ、大きな手術をしました。医師には「一生顔面麻痺が残るかもしれない」と言われました。

そのとき私は腹を括ったのです。「人生は短い。だったら、好きなことをして生きよう。誰に何を言われても構わない」と。

もう1つの理由は、背中を押してくれた恩人の存在です。大手上場企業で専務だったKさんは、私が何度同じことを相談しても、同じことを説き続けてくれました。

一番大事なのは、自分がどうなりたいか。
世間から見て理解されない人になればいい。
儲かる市場なんてない、儲かる人がいるだけ。
儲からない市場なんてない、そこでも儲かる人もいる。
アーティストはニーズからスタートしてないでしょう?
世間に流されるな、好きなことをやれ。
自分の人生は、自分のモノサシではかれ。
失敗したっていいじゃないか。
やりたいなら、やれよ。

当時の苦しみのノート。笑

私が公認会計士をやめてyucasiiを立ち上げようとした時、皆に反対された。 ファッションの勉強はしたの? 会計士の安定を捨てたら戻れない。 アパレルは斜陽産業。 在庫を抱えなくちゃいけないから儲からない。 ニーズは何ですか?ターゲットは?...

Posted by 中村 友香 on Saturday, May 9, 2015

そんな経験と言葉に背中を押されてやっと、私はファッションの世界に飛び込むことができました。その時創ったドレスブランドyucasii tokyoは、今でもライフワークとして続けています。

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挑戦の経験を通して、私が学んだこと

こうした経験を通して、私が学んだことは一体何だったのでしょう?
1つは、「やりたい」という気持ちがあればそれだけでチャレンジをする理由としては十分なのだ、ということです。

私が挑戦で手に入れたものは、他人のモノサシで測れるような「成功」や「幸福」ではありません。一度きりの人生を思い切り楽しむ、子供のように夢中になってワクワクするという、自分だけの「生き方」を手に入れたことが、一番の財産です。

そしてもう1つ、私が手に入れたこと。それは「自分らしい人生を楽しめる個人を増やしたい」という、新しい夢です。その夢は、のちにテキーラバーの開業や、セルフメンテナンス協会の設立へと、発展していきました。これは、私が高校生の時には全く予想していなかった展開です。

私が会計士からファッションの世界に飛び込んだのは、既存のキャリアプランを捨てるようなものでした。当時の私は「キャリアとは、自分が立てた計画にしたがい、形成するもの」と信じ込んでいました。だからこそ、その計画から外れて生きることに怯え、大きな勇気が必要だったのです。

でも、今の私のキャリアは、予期しない出来事や偶然によって左右された結果創造されたものであるという感覚があります。1つの挑戦をきっかけに、新しい夢、新しい生き方が始まりました。今では、その偶然性こそが人生やキャリアの醍醐味なのではないかとも思うようになりました。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学卒業式でのスピーチで「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」というフレーズを口にしました。大学時代にカリグラフィーの授業で学んだことが、偶然にもアップルの事業に役立ったというのです。モニターの中の文字の美しさの重要性に気づき、世界中のパソコンに「フォント」という概念が生まれました。彼は「フォント」という概念を生み出そうとしてカリグラフを学んでいたのではなく、過去にカリグラフィーの経験をしていたので、カリグラフィーとパソコンという点と点が結びついて、「フォント」が創造されたのです。

1つ1つの出来事(点)が、人生にどんな意味をもたらすのか、その時点では誰にもわかりません。でもあるとき過去を振り返ってみると、点と点のつながりが見えてくることがある。「自分の人生を楽しめる個人を増やしたい」という私の夢も、そのようにして生まれたものです。

だから今、私はこんなふうに思っています。
人は、自分が立てた計画にしたがって人生を生きていこうとします。私もそうでした。でも一方で、頭で考えた計画に縛られもします。魂が「違う生き方をしたい!」と叫んでいても、その声が聞こえないふりをしてしまいます。でも、聞こえないふりを続けていると、お腹の底から幸せを感じられることはないのです。

もし、魂が「こんな生き方をしたい!」と叫んでいるなら、それだけでチャレンジする理由としては十分なのです。
「なぜ、そんな生き方を?」と問われて、答えられなくてもいい。「なぜ」の答えは、挑戦した後に見えてくるに違いありません。

成功するまで失敗を続ければ失敗は成功のための階段の1つに過ぎない、だから失敗したっていい。むしろ沢山失敗すればその経験から色々なことを学ぶことができる。自分のつまらないプライドが邪魔をしているだけなのです。そうして、必ずしも他人から見た成功に見えなかったとしても、自分が楽しい人生を送る事の方が実はもっともっと重要なことなのです。

自分にとっての成功=自分にとっての楽しさ、を追求し挑戦してゆきましょう。挑戦した結果得られるものは、必ずしも他人からみた「成功」「幸福」とは限らない、自分のモノサシに照らして「成功」「幸福」な人生です。そのときにはもう、「失敗したらどうしようオバケ」も、どこかへ消えていることでしょう。

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↓↓2年前一番最初に撮影したYouTubeもこのテーマにしていました!


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