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グザヴィエ・ドランを読み解くメモ / 01: マイ・マザー(2009)

監督:Xavier Dolan 製作国:カナダ / 上映時間:100分 視聴方法:U-Next 出演: Anne Dorval, Xavier Dolan, François Arnaud


私が一番初めに観たドラン作品は「ジョン・F・ドノヴァンの死と生 (2020)」でした。しかし正直なところ独特の音楽使いやオマージュに戸惑ってしまったのが率直な感想で、どうにかドラン作品を理解したいという思いから一つ一つじっくりと観た記録としてこのメモを書いています。

一つの映画を解体したところでそれはきっと全く意味のないことないのですが、ドラン作品をただの「センスがいい」だけで終わらせないためのメモをちょっとしたシリーズとしてnoteにまとめることにします。


'' I Killed My Mother.'' / 母親への拒絶反応


母親を愛すことも、愛さないこともできない。些細なことで喧嘩を繰り返す母息子の複雑な感情を描いたグザヴィエ・ドランの21歳での初監督作品であるこの作品ですが、脚本を書いたのは彼が16歳の頃。主人公のユベール・ミネリも17歳で、これはグザヴィエ・ドラン彼自身の物語であるとも言われています。

とっさの嘘

冒頭、学校で両親の職業調査を求められたユベールは、とっさに先生に「母は死にました」と言って母親へ調査することを避けようとします。そんなしょうもないウソはすぐにばれて、母親は学校に乗り込んできて大声でわめきたてます。先生は親子関係に問題のあるユベールを案じて食事に連れて行きました。物語の後半、寄宿学校に入れられたユベールはそこでのエッセイの課題のタイトルを'' I Killed My Mother''(私が母を殺した)としますが、これはここで先生から、嘘をついたことに対して

’’You Killed Your Mother.''(母親を殺したのよ)

と叱られたことが彼にインスピレーションを与えました。

母への極度な拒否反応はこのくだらない嘘だけでなく、あらゆる場面で見られます。

女である母親を感じさせる場面

映画の冒頭、母親が口の周りにクリームをつけながら食事をするシーンがクローズアップで、スローモーションで挿入されます。彼は何度も「食事の仕方が汚い」と母親を批判します。同様にして彼が気に食わないのは母親の服装で、派手な色に過剰な装飾、露出も多くタイトである母親の服装が受け入れられません。映画の中で描かれる女性で対照的な存在は恋人アントナンの母親(=同性愛に理解があり、息子と友達のような関係)と教師のジュリー(=重要な理解者であり、詩を通して感情を共有する)で、その服装も単色でシンプルなものです。

モチーフとしての母親

この作品において最も印象的なショットの一つに強烈な青い背景と静止画風の動画で描かれるポップな母親の肖像があります。(個人的にはこのシーンでマイ・プライベート・アイダホ(1991)を思い出しますが、ユベールの部屋にリバー・フェニックスのポスターが貼ってあることから引用であることは間違いないような気がします...)「日焼けサロンに行くけど、一緒にどう?」という母親とその友達の誘いをうけたユベールはスーパーの水着売り場のマネキンのようなはっちゃけた母親たちを思い浮かべ、「夕飯は作っておくよ」と断ります。

もう一つ印象的なのは「涙を流す母親」です。寄宿学校へ旅立つ日、恋人のアントナンがくれた粘土の人形の母親は涙を流しており、先ほどの静止画風のイメージのなかで物語の終盤には目から血を流す聖母マリアの格好をした母親のイメージをします。しかし映画において母親は一切涙を流さず、大声でまくしたてる姿のほうが印象的です。

ユベールの中で母親を受け入れられない要因の一つには、その頑固で自分を強く持っている、弱みを見せない母親への違和感があるのではないでしょうか。


モチーフの連続からわかること / イメージの共有


ドランはその撮影において、ルックブックを作成します。多くのファッション雑誌から切り抜いた衣装や情景のイメージなどをスタッフと共有するためです。イメージの共有は彼の撮影においてとても重要とされており、撮影前にそのシーンで使用される音楽をあらかじめ聞かせたり、流しながら撮影を行うなど、頭の中のイメージを積極的に、小さなかけらでも、外に出して共有するようです。

この映画において印象的な、モチーフの連続したショットは、ドランと我々鑑賞者の間のイメージ共有の一つなのでしょう。

例えば最初のモチーフはリビングに飾られている蝶のオブジェや天使の置物を一つずつ追っています。映画を観進めると母親の部屋にも風呂場にも同様の蝶や置物がみられ、家全体が母親の趣味で固められていることがわかります。母親もそれが息子にとって居心地が悪いことを少し感じているようで、新しく買ったランプシェードを「あなたは気に入らないでしょうけど」といいます。

次のモチーフはオードリー・ヘップバーンやジェームス・ディーンなどの往年の名俳優たちの連続したショットで、それらは恋人アントナンの部屋に飾られていることがわかります。ユベール自身もリバー・フェニックスのポスターを自室に飾っていることからふたりの共通の趣味が映画であることが推測されます。深読みするならばアントナンの部屋にはクリムトの「女性の三時代」の若年期と幼年期の女性をクローズアップしたポスターが飾られています。対してユベールの部屋のドアにはムンクの「叫び」が飾られており、対比的な二つの親子関係を表しているようです。

ほかにも買い物に出たユベールが購入したものや、幼少期の思い出の家の枯れた花や思い出の品などのショットの連続があります。このように、その状況についてカメラが動き回らない代わりにバラバラなイメージが挿入されることによって場の持つ背景や状況が我々にも共有されます。


ユベールと詩 / ’’母親は息子と友達になれない’’


この映画において重要な役割を担っているのが画面上に挿入される文字・文章です。

On aime sa mère presque sans le savoir, sans le sentir, car cela est naturel comme de vivre ; et on ne s'aperçoit de toute la profondeur des racines de cet amour qu'au moment de la séparation dernière.
ひとはほとんど自分では知らずに、気がつかずに母親を愛しているものです。それは生きているのと同じくらい自然なことだからです。この愛の根の深さには最後の訣別の時でなければ気がつきません。
(モーパッサン『死の如く強し』杉捷夫訳、岩波文庫、1950年(1992年第18刷)、164頁)

映画冒頭に引用されたのはモーパッサンの長編小説「死の如く強し」の一節でした。ユベールは「母親は死にました」という嘘をつき、先生から''You killed your mother.''と叱られたことによって、「最後の訣別の時」に近いものを感じたのではないでしょうか。自らを撮影したモノクロの動画において、「母親を愛すことはできないが、愛さないこともできない。」という真理にたどり着いています。


“Ma mère, à toi je me confie. Des écueils d'un monde trompeur Écarte ma faible nacelle. Je veux devoir tout mon bonheur A la tendresse maternelle.”  「お母さん、偽りの世界には罠がある。僕が幸せなのはあなたの優しさのおかげ。」De Alfred de Musset / A ma mère (母へ)

次に、寄宿学校へ行くことを知った先生が選別の品としてユベールに手渡したフランスの作家ミュッセの詩集の(218ページの)詩がこの「母へ」でした。寄宿学校へ行く直前、母親と最後の時にもまたもや喧嘩をしてしまい、「明日僕が死んだら?」と疑問を投げかけます。

Hubert Minel: What would you do if I died today?        Chantale Lemming: [quietly to herself, after Hubert has walked away] I'd die.

不器用な母親のユベールへの気持ちはここでしっかりと分かります。

ここで母親から受け取った手紙は教師ジェーンからのものでした。彼女は疎遠だった父親から連絡があったこと、バンクーバーの友人を訪ねようと思っていることに加え、以下の詩を書いています。

''Tu es un poisson des grandes profondeurs. Aveugle et lumineux. Tu nages en eaux troubles avec la rage de l'ère moderne, mais avec la poésie fragile d'un autre temps.''
「あなたは海底の魚。盲目で光り輝いてる。あなたは荒海を泳ぐ。現代の怒りと、別世代の詩を携えて。」

ジェーンはユベールにいくつかの古典的な詩を贈っています。何百年も前の作家たちが心に抱いた母親に対する気持ちを時には共感の詩、時にはユベールを導くものとして彼の心に寄り添っているようです。



おわりに / この映画を視ているのは誰か?


この映画に関して着目した点は背後からのスローモーションやウエディングドレスのシーン、色彩と心情、音楽の効果など挙げるとキリがないのですが、今回はきちんと自分の言葉で書くことのできる大テーマ3つに絞りました。(今後気づいたことがあれば追記します...多分)

「この映画を視ているのは誰か?」というのは作品社から出ている佐々木敦さんの映画監督ごとの「視覚」に着目した本からの引用ですが、今回は(本と対応させるとホン・サンスと同じく)この映画を視ているのは「ドラン自身」であるといえると思います。彼の経験がベースになっている脚本にくわえ、現場の思い付きでカメラワークを支持することが多いという彼のスタイル、時折混じるイメージの連続や不可解なショットは完全に彼自身の個人的な経験や思い出のイメージにとらわれていると言えるでしょう。

同時に主演も行っている彼は、この映画を通して(文字通り)「自分を見つめなおしている」ことになります。

おわりに、

ポップ・シネマとも称されるグザヴィエ・ドランの映画作品の魅力は到底言葉では言い切ることができませんが、ほかの作品も「なぜ良いと思ったのか」をこのメモを通して整理していこうと思います。


(それから、音楽も魅力的なマイ・マザーのプレイリストもどうぞ。)



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