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10年前のフィリピン、ストリートチルドレンを突然思い出した話

はぁい、ゆかりです🙋‍♀️
昨夜、夜空に呼ばれて日付変更ランに。
雨雲去行き、久々に星空が美しくて。
ランニング中はインスピレーションシンキングタイム、な相変わらずな私は。
なぜか10年前に母校開催スタディツアーに卒業生として参加させていただいた頃に想いを馳せていました。
今回は、そんな話。

【詳細に思い出したフィリピンの子どもたちのこと】

「あの子は今頃、どうしているんだろう。」
ランニング中にふと胸に浮かぶ、一人の男の子。
ここで次から次に出会った子どもたちの笑顔を回想してひと段落して最初に戻る、という記憶の世界を旅するいつもの私の習慣(笑)。
彼の名前覚えていますが、仮にJくんとします。
Jくんは、日が沈み後輩たちや現地ガイドさんとともに滞在先ホテルへ戻る道すがら寄ったコンビニエンスストアの側のストリートに、一人で居ました。
Jくんは、ぼんやりと焦点の定まらない瞳をうるませていて。
小さなてのひらを差し出して、私たちのような異国から訪れた人に話しかけていました。
お金や食べ物をちょうだい、と。
現地ガイドさんに通訳してもらって、Jくんと少し話をしました。
お母さんと自分よりも年下の子どものために、夜間一人でストリートに立つJくんは、一家を支える大仕事。
家はあるが道端で寝る、当然学校には行ったことがない、と。
お話ししてくれたお礼に手持ちの小銭を少しだけ渡しました。
Jくんには薬物を摂取した形跡がありました。
現地ガイドさんのお話では、食料よりも薬物の方が安価で手に入れやすいので、空腹感や辛さを紛らわせるため、彼らのような子どもたちが薬物を常用している、とのこと。
Jくんの前で決して泣くまいと涙を全力で引っ込めて、笑顔で抱きしめさせてもらいました。
小さく痩せていて、服もヨレヨレ、瞳の焦点は相変わらず定まらず。
「何か食べるものを、買ってね。お薬じゃなくて、食べるものを。」ガイドさんが通訳して伝えてくれました。

その日以外でも、ストリートチルドレンたちがお店のドアを開閉してチップをねだっている場面に会い、彼らに食べ物を渡してお話を聞かせてもらいました。
ある兄弟は、お母さんを亡くして2人で力を合わせて路上生活をしていました。
周囲の大人の路上生活をしている方が、時々英語で通訳をしてくれたので、おおよその話の内容を理解できました。
彼らは、とても強い瞳で、学校に行ってみたい、と話してくれました。
とてもキラキラした笑顔の兄弟でした。

そんな感じで、スモーキーマウンテンやスラム街に住む子どもたちに混じって一緒に換金できそうなものをせっせと探したり、言葉が通じない中一緒に遊んだりハグしたり。
訪問した孤児院で大歓迎を受けながら、カレーを作ってみんなで食べたり。
孤児やスラム、路上で生活する方々と触れ合って、時間や体験を共有してくれた彼は今頃どうしているだろうか、と想いを馳せていました。
自己陶酔かもしれません、単なる偽善かもしれません。
ですが、彼らの少しでも健やかで美しい未来を想像して祈り願う気持ちでした。
自分勝手ですけれどね、世界には私の知らぬことで溢れている、から。

【帰国後の私】

フィリピン訪問時、私は高齢者通所介護施設の生活相談員兼介護職として、プラス中間管理職の立場で勤務していました。
利用者様にはまるでご自身のお孫さんの様に可愛がっていただき、職員や上長や他部署の職員にも恵まれて、良い環境で働かせていただいていました。
1週間の有給休暇を取り、ホノルルマラソンに出場した際は、応援歌を歌っていただいたり応援メッセージの色紙をいただいたり。
フィリピンから帰国した際には、朝の会で1週間、フィリピンで体感した経験をお話しさせていただいたり。
本当に恵まれた環境だった、と今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

しかし、私は。
大学生の頃に学習したこと、メディアに流れている情報で知っていること。
実際に自らの目で見て現地で話し一緒に遊んで体感を通して体験したこと。
それらの「知っている」の感覚に大きな隔たりがあることを、グローバル規模で身に染みて感じていて。
フィリピン滞在中に、孤児たちの施設を運営する代表者とこんな会話をしました。
彼女が言葉は詳細に覚えていて、何度も何度も心の中で甦る大切な記憶で、大切な信念です。

「こんな風にフィリピンに来ても、この子達に何にもできない。」と話す私に、彼女は私に応えてくれました。
「ゆかりはここに来るのに、自分でお金を出したでしょ?
しかもお仕事休んで自分の時間を使ってきてくれたんでしょ?
日本では福祉のお仕事のお給料よくないでしょ?
それに、寄付をしてくれるお金持ちの海外の人ってたくさんいるの。
彼らは時々施設訪問にも来てくれるのよ、でもね。
あなたたちみたいに、子どもたちとこんな風に遊んでくれる人は少ない。
子どもたちの鼻水やよだれや汗にまみれても嫌がらずに触れてくれる人って少ないのよ。
あなたたちは確かにちょっと来てすぐに帰ってしまうけれど。
子どもたちはそうやってきてくれるあなたたちの温度を受け取っている。
あなたたちのその気持ちは、愛情として子どもたちに伝わっているの。」
と。
彼女の愛の深さ、子どもたちの純粋な透明さや生きる力の逞しさに改めて心を打たれたのでした。
思い起こす度に、心にあたたかな波が打ち寄せ、自分のいのちをきちんと生かそうという想いが訪れます。

そうして私は、とてもありがたく居心地も良い環境から出て、自身の体感で体験するために、1年間発展途上国の子どもたちと全力で遊ぶこと!を夢に掲げて実践する決意をしたのでした。

【思い出せば、割とすごいチャレンジャーな私】

私は生まれながらHSPの気質を持っていますが。
HSS型HSPであるため、外に表出される面はHSSな特性が多いかと思います。
その実、内面のぐるぐる思考、勝手に何でもかんでもネガティブに捉えて傷ついたり、いろんなことに気づいてしまって気づいていないふりをするのに全力を注ぐという無駄な努力、などはごくごく親しい一部の人しか知り得ない特性だったように思います。

海外経験もなく、英語も話せず、安定して充実した職から飛び出し、よくもまぁそんな決意をしたもんだなぁ、と。
その後、カンボジア、タイ、インドへと、めちゃくちゃパワフルに情報収集して人の助けをつないでつないで、訪問することができ、そこでの出会いや体験が今の私を創ってくれました。
そんな私に、青年海外協力隊の応募を勧めてくださった数名にも感謝します。
コロンビアで協力隊経験をさせていただいたことへのとても大きな契機となりました。
つながっているなぁ、と。
過去は過去かもしれませんが、どのことが欠けていても、今の私ではない私なんだな、と思うと。。。すごいですよね。

【結びに】

私の記憶にお付き合いくださり、誠にありがとうございます

幼少期の頃から敏感というか過敏であるが故に、つらくかなしく苦しいだけに感じていたこと全ての経験に対しても、当たり前にそこに在った私の一部として、とてもいとおしく感じるのです。
思考で感情を抑え込んだり、言い聞かせているわけではなく、本当に心からそんなきもちが湧き出てくるのです。
大きな感動や情動を揺り動かす感じではなく、そっと波のように寄せては戻っていくような静かだけれど、確かな感動、です。
伝わるかなぁ。。。

出会った全ての人や、味わった全ての体験についても。
なんだか、相当に壮大なシンフォニーの途中をアドリブきかせながらうねり進む、という感じです。
人生っておもしろいなぁ、と思うことのできる今
こんな風に自分が穏やかな心持ちで生きていること、昨年の今頃は全く想像すらできませんでした
かなり迷いと苦しみの道に自ら突っ込みもがき苦しんでいたように思います。

ですので、今がどんなキツくて苦しくて生きづらい日々を過ごしているあなたにも、私のようにそこを抜けて感謝やしあわせの中を生きることができるのではないか、と思っております。
人間は素晴らしいです。
決して一人では到達できない域に、イマジネーティブでクリエイティブに人生をデザインすることができます。
あなたがあなたをあきらめない限り、あなただけの最適なタイミングで、変容が訪れます。
私がとてもいい例です^^

世界中にやさしくてあったかい風が吹き、隣の誰かに届けたくなるような。
そんな世界に地球上のみんなでして行けたらいいな
、と。
祈りを行動にできるように、一歩ずつ歩いて行こう!とまだまだ怖がりながらも心を新たに。

最後まで読んでくださって、誠にありがとうございます
いよいよ夏日到来ですね。
あなたがあなたご自身をやさしく労り慈しみ、健幸でいられますように。
今日も全力で感謝

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