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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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2020年1月の記事一覧

傍にあるものの、本当の意味。

人によって興味が違うということは、ワタシにとってとても関心の深いことだ。 みんなが皆んな、同じモノに共感し、同じモノに同調し、同じモノに涙していたら、それは本当の感動と言えない気がするからだ。 誰かと自分の違った一面を知ることによる気づきこそが、世の中にある全ての創作物に現れていると考えている。 さて、人それぞれの興味という観点で一日を過ごした場合、分かりやすい指標は「持ち物」だ。 平日はスーツでないといけないサラリーマンの方ですら、スマホケースや時計など、その人の持ち

己の価値観の流動性を認識せよ。

朝起きてから夜眠りにつくまで、「情報」ばかりだ。 スキマ時間という部分にまで、スキルとか情報収集とか学びとかを充てがうことが勧められる。 情報弱者とは、情報に触れることが困難であったり活用できない人のことを指すが、情報に疲弊している状態も、ある意味情報弱者のように感じたりもする。 とはいえ、実はこういった「情報」が大好きな自分もいて、肩が凝るまで、目をこすりながらもそれに触れていたい自分もいる。依存症と言われたら、肯定せざるを得ないかもしれない。 昭和の頃、天気予報と朝

自分の意見が出せない人の心理とその対策

同じ場所にいて、同じ状況を目の当たりにし、同じ言葉を耳にしていても、自分の意見を問われると何を言っていいのかわからない人がいます。 真面目に聞いていなかったわけではないし、むしろ関心を持ってその話題に触れていたはずなのに、「あなたはどう思いますか?」と聞かれると「そんなこと言われても・・・」と頭の中が真っ白になってしまうパターンです。 ともすれば不真面目な人と思われるかもしれないから、場合によっては焦ることがあるかもしれませんよね。 このパターンに当てはまる人の特徴 ・

相手の立ち位置を変えてしまう言葉。

自分は周りからどんなふうに思われているだろう? こんなことをしたら、周りはどんなふうに思うだろう? 少なからず誰でも頭に浮かぶことがあるはずだ。 人間には「承認欲求」というものがあり、さらに「他者承認」と「自己承認」というものに分かれる。 読んで字の如しなのだが、誰かに認められたいという欲求と、自分自身のことを認めたいという欲求だ。 <ケース1> ①誰かの手助けをする ②「ありがとうございます。」と言ってもらった ③『感謝された』と受け取り、他者承認が満たされる ④自分

コミュニケーションの本質を考えてみる。

私たちは常日頃、無意識のうちにコミュニケーションを取っている。無意識のうちにそれを求め、誰かに伝達するという行動を取っているのだ。 「無意識に求めている」と感じたのは、今年20歳になる娘が赤ちゃんだった頃のことだった。手で物を握りしめることができるようになって、その握りしめた物を私に手渡して笑った瞬間だ。 まだ会話が成り立たない幼い娘が、「コミュニケーション」を目に見える形で示してくれたのを感じた。 先日、渋谷で開催されている #分身ロボットカフェ に娘と一緒に行った。

「反抗期」がないことを疑問視される意味。

思春期を多分通り過ぎた大学生と、まだ最中の高校生。 2人の子に反抗期らしい反抗期がなかったと言うと 「それは危険だね。反抗期がないなんて、成長に必要なものが欠けてしまうよ」 と言われることがある。 結論、大きなお世話なのだが、 「かかってきたら、いつでもコテンパにしてやる」 と言って、ファイティングポーズを取って言葉を交わす。 反抗期(はんこうき)は、 精神発達の過程で、他人の指示に対して拒否、抵抗、反抗的な行動をとることの多い期間のことである。 子供から大人へと成長する

だからワタシは、「猫目線」が好き。

カメラを趣味にしたいと思って買ってから、もう2年ほど経つ。 趣味と言えるほど撮ってないし、上手になってもいないけれど、カメラを持ち歩くこと自体に恥ずかしさはさほどなくなってきた。 あえて繰り返すが、2年経っても上手になったとは到底思えないのだが、ちょっとだけ「こだわり」というか、好きなアングルがある。 それが、「ネコ目線」だ。 ↑このね、noteのヘッダーみたいに、猫の目線くらいの高さからのショット。それが「猫目線」(=^ェ^=) ワタシの身長は153cm。この「ワタ

コミュニケーションを「学習」で得ようとする人の特徴

ワタシは、8年ほど全般性不安障害というものを経験しました。 今でも日常に、その名残があることを自覚していますが、生活に支障があることはほぼありません。 ある種のオープンマインドの意味合いも含め、自己紹介などに「全般性不安障害を経験しました」と記すと、 「○○の資格を持ってます。何かあったらご相談くださいね」 といったコメントをいただくことがあります。 優しさや気遣いであることを重々承知しながらも、「この人には相談しないな」と思う自分がいます。 どれだけ捻くれてるんだと

世の中で流布されている「オススメ」は、自分のベターにする必要はない。

「流行というのは、誰かが流行らせている」といったことは、概ねの大人が感じているだろう。 流行りに乗るのが嫌だ、気が進まないと思いながらも、流行に乗ることは楽だったりする。 自分に似合うファッションが分からなくて、クローゼットの前でため息をつく。そんな時、とりあえず流行の通りの服を買って身に付けると、意外にしっくりきたりする。そして安心感を覚える。 服の場合は分かりやすく、そうやって買ってきても、やっぱりしっくりこない服はやがて着なくなる。 意識的か無意識的か、そうやって服

正解を求めないで、回答していく力。

リビングに子供が使っている問題集があった。 中を開いてみたが、さっぱり分からない。数式の音読みすらできないから、大人しく閉じる。お久しぶり、数学。さようなら、数学。 私は勉強ができない子供だった。「勉強をする」という動作が好きではなかったし、興味の湧かないないことに集中することを求められることが苦痛だった。 まぁ、カッコよく書いているが、要は怠け者だったのだと思う。 ただ一つ言えるのは、そんな人でもちゃんと大人になって、企業に勤めることもできるということ。PCが使えたら

生きるために必要なことは、音楽が教えてくれた。

何となく、文章を書くのが好きだ。特別上手いわけでもないし、語彙力に長けているとも思っていないが、何となく書くことが好きだ。 それと同じくらい、音楽が好きだ。 日々の生活の中で大切な要素を挙げるとしたら、そこに「音楽」がある。 今の子はYoutubeがあって、好きな音楽をすぐに聞くことができて、いいなぁと思う。 私が学生の頃は、TVやラジオに配線して、カセットテープに録音していたりした。洋楽なんかは、深夜番組を予約して、次の日に観るのを楽しみにしていた。 幼い頃から、大人

誰かを「大切にする」ことの意味。

私たちは、常に自分の心と会話しながら生きている。 独り言のような呟きの時もあるだろうし、誰かと話し合いをするように問いかけている時もあるだろう。 自分の心は自分に楯突くこともないし、見限ったりはしない。 ただ、一人称であるが故に、会話の広がりが不足する。 ワタシは、誰かと話をする時、もしくは話をした後は、ひどく疲れる。 誰かの話を聞くのが好きなのに、ひどく疲れる。 聞くことや話すことに集中して、脳が疲れたのかもしれないし、ただ単にカフェで長時間座っていたことが疲れたのか

言語化もいいんだけど、非言語化しておくことの魅力。

はい。 「言語化」とっても大事だと思っている。 #note毎日更新していて、日々痛感しているから。 はい。 なのに「非言語化」って。 どこぞの反抗期なのか。笑 私は言葉が好きだ。 同じように文字にも興味をそそられる。 日本がすごいと思うのは、街中に本当にいろいろな文字が溢れていること。 ひらがな、かたかな、漢字 算用数字と呼ばれるものから、ローマ数字なんかもある 英語、中国語、韓国語 繁華街にあるお店の看板なんかは、さらに多国籍。 何て書いてあるのか? 何ていう意味な

「伝えたい思い」がある時、その表現に加えなければならないもの。

先日、高校生の息子が「UI」という言葉を初めて知ったようで、私に対して 「UIって意味、知ってる?」 と聞いてきた。 せっかく意気揚々としているところ申し訳ないのだが、私はIT業界で食べてきたものだから 「存じ上げております」 と回答した。 ちょっと残念そうに苦笑いしていたが、その言葉を知った喜びと、共有できた嬉しさでいっぱいの様子だった。 CUI:Character User Interface(キャラクターユーザーインターフェース) GUI:Graphical Us