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正解を求めないで、回答していく力。


リビングに子供が使っている問題集があった。
中を開いてみたが、さっぱり分からない。数式の音読みすらできないから、大人しく閉じる。お久しぶり、数学。さようなら、数学。

私は勉強ができない子供だった。「勉強をする」という動作が好きではなかったし、興味の湧かないないことに集中することを求められることが苦痛だった。

まぁ、カッコよく書いているが、要は怠け者だったのだと思う。

ただ一つ言えるのは、そんな人でもちゃんと大人になって、企業に勤めることもできるということ。PCが使えたら、計算は機械がやってくれる。
「ツールを知り、使い方をマスターする」ということに興味の湧く人でなかったら、なかなか生きていくのが難しかったかもしれないと、たまに思う。


正解を求めないで、回答していく力。


これね、矛盾しているように思うかもしれない。

正解というのは、1+1=2 みたいなもの。
一つしかない、正しい答え。

数学であればこれが必要で、「2」以外の答えはありえない。

昔、友達が、
「数学は答えが一つしかないからいいのよ。
迷いがなくて美しいじゃない。」
と言ったことがあった。
これには数学のできない私ですらも、深く頷くしかなかった。


正解を求めないで、回答していく力。

そしてまた、これ。
つまりは、私たちの生き方について。

オリンピックが終わったら・・・
AIが進むと・・・
2030年には・・・

いろいろな予想は、不安から発生し
いろいろな予想は、不安を増殖させる。

そこで必要なのが、
正解なんて初めから求めずに、
とにかく回答していく力を持つことだ。

目の前の課題ややるべきタスク、さまざまな選択肢に対して、臆することなく回答し続ける。
エラーコードを読み解きながら、次の回答を探し提示する。
回答することにより、問題は変化し、さらに回答を示していく。

そんな、終わらないゲームのような状態を
いかにして楽しむか。

それが生きるということ。
その力が必要であり、望む力だ。

明日、私は、どんな回答を出し、
どんな問題を受け取る?

明日、あなたは、どんな回答を出し、
どんな問題を受け取る?

導き出すのは、全て自分だ。

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