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コミュニケーションを「学習」で得ようとする人の特徴

ワタシは、8年ほど全般性不安障害というものを経験しました。
今でも日常に、その名残があることを自覚していますが、生活に支障があることはほぼありません。

ある種のオープンマインドの意味合いも含め、自己紹介などに「全般性不安障害を経験しました」と記すと、

「○○の資格を持ってます。何かあったらご相談くださいね」
といったコメントをいただくことがあります。

優しさや気遣いであることを重々承知しながらも、「この人には相談しないな」と思う自分がいます。

どれだけ捻くれてるんだと思われても構いませんが、
「資格持ってるからって、何だよ」と感じるわけです。

「何かあったらご相談くださいね」だけで十分なんです。
ワタシは、優しさに肩書きを必要としない人種です。

社会生活を送っていると、「肩書き」の存在を意識することがあります。

「肩書き」は重要です。
何らかのサービスだったりツールだったり、店舗なんかに付く名称も、ある意味「肩書き」ですよね。
それが個人に落とし込まれると「肩書き」は個人の信用となり、信頼を得るためのツールのような役割を果たすわけです。

企業であれば、「○○営業部の○○担当」とか付くだけで、このサービスについてはこの人に問い合わせれば対応してもらえるんだ!ということが期待されます。

日本の歴史的に男社会だったからか、そもそも男性性のためか、どちらかというと男の人の方が「肩書き」にこだわる傾向があります。
誰かの信頼を得るだけでなく、「肩書き」を持っている自分に対してステータスを覚えて安心するという面もあるでしょう。

コミュニケーションを「学習」で得ようとする人の特徴

「信用」や「信頼」は、コミュニケーションを考える時に重要なワードですが、これらを獲得するにはどのようにしたら良いでしょうか?

この問いの答えに対して、「人との対話を大切にする」「笑顔で接する」「誠実に気持ちを伝える」といったものが浮かぶ場合、本来の「コミュニケーションを得る」ための方法を実践していると言えます。

この問いの答えに対して、「資格」「経験」「学歴」「習得」といったものが浮かぶ場合、自分に対しての学びをしているに過ぎないことに気づいていません。
こういう人は、実はコミュニケーションをとるのが苦手な場合があります。苦手だけど上手になりたい。苦手だから、勉強してそれを得ようとします。

誰かを気遣う時、
まずは、その人の目線に立った声かけやアクションを起こし、思いを伝えてみてください。
一人の人間として、相手に対してコミュニケーションを取りたいという姿勢を示してほしいのです。
そこに資格や経験や学歴は必要ありません。
「専門的なことを相談したいと望んでいる」と、判った時点で貴方の知識を伝えてみてください。

最後に、
資格・経験・学歴・・・といったものは、社会的に必要な場合があることは間違いありません。別の意味で信頼獲得に必要なものなので、否定している意図はないことを申し添えます。

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