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誰かを「大切にする」ことの意味。


私たちは、常に自分の心と会話しながら生きている。
独り言のような呟きの時もあるだろうし、誰かと話し合いをするように問いかけている時もあるだろう。

自分の心は自分に楯突くこともないし、見限ったりはしない。
ただ、一人称であるが故に、会話の広がりが不足する。

ワタシは、誰かと話をする時、もしくは話をした後は、ひどく疲れる。
誰かの話を聞くのが好きなのに、ひどく疲れる。

聞くことや話すことに集中して、脳が疲れたのかもしれないし、ただ単にカフェで長時間座っていたことが疲れたのかもしれない。

とにかく、ひどく疲れる。


誰かを「大切にする」ことの意味。


当たり前だが、「誰か」はワタシではない。
ワタシが誰かの話を聞く時は、相手の表情や声のトーンにも注目する。
良く使う言葉。繰り返し口から出る言葉。
その言葉を使う時の話し方の抑揚や速さ。
さまざまな部分まで、とにかく全力で聞いてしまうのだ。
これは、一種の癖のようなもの。

ちょっと、面倒だなぁとすら思っていたのだが、ひどく疲れることを自覚してから考え方が変わった。

この癖は、その人のことを真剣に考えている動作なのだと。

会話をしていないタイミングでも、その人のことを考えている状態にある時は、その人のことを「大切に思っている」事実があるのだ。

ワタシにとっての、誰かを「大切にする」意味とは、
その人が自分に見せてくれる全てから、隅々まで感じようとする動作だ。

その動作そのものが、意味を表している。

そして今日も、明日も、明後日も、
ワタシは、誰かを大切に思う。
ワタシは、誰かを大切に思う。

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