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紫がたり 令和源氏物語 第三百六十六話 若菜・下(三十二)

 若菜・下(三十二)
 
源氏が朧月夜の姫を軽々しい女だと疎ましく思うのが伝わったのかどうか定かではありませんが、女人というものはそうした機微に敏感なところがあるもので、尚侍の君はひっそりと世を捨てられました。
源氏はその噂を聞いて些か惜しいとは思うものの、先に仏弟子になられたことを羨ましく感じるのでした。
この身ひとつならばとうに捨てていた世ですが、身重の幼い宮を残しては世間が許してはくれないでしょう。
なにかにつけても宮を娶ったことが悔やまれる身勝手な君であります。
源氏はついぞ例の手紙を見たとは宮にはっきり申し上げませんでしたが、その態度の変わり様に傷つく宮は、以前よりも一層おどおどと落ち着きを失われるようになられました。
紫の上が回復しても源氏が一向に宮を顧みないというのは宮の女房たちから朱雀院へ伝えられ、院はそのことを不安に思召されました。
源氏を恨む気持ちもありますが、もしや宮の御身に何事か出来したのではなかろうか、と。
正史には残されなくとも帝の女御でさえ主上以外の男性と契り、世継ぎが誕生したということはないことではないのです。
源氏が不在の六条院で浅薄な女房などが男を引き入れ過ちなどがあったのではあるまいか。懐妊と聞いて喜んでいた裏にはそのような事情があるのであれば、忌々しきことと源氏も不快であろう。
源氏の態度の豹変にはそうしたことしかあるまいよ、と院はまた子を思う闇に捕らわれて仏道にも専念できぬのでした。
 
紫の上の病気でとうとう朱雀院の五十の御賀が見送られ、夏頃から身重に悩まされる女三の宮のご様子でしたので、十月になり柏木の北の方・女二の宮によって主催された御賀の儀が華々しく執り行われました。
この準備は派手好きの致仕太政大臣がなされたので、それはもう絢爛豪華。
さすがの柏木もこの日ばかりは重い腰を上げて御前に伺候しました。
朱雀院は女二の宮が息災なのを喜ばれましたが、やはりその場にあっても思うのは女三の宮のこと。
この院の偏愛が愛娘をただの人形のようにして分不相応な二品の宮という身分を与えたというのに、未だそれとお気づきになれない愚かしさ。
いくら仏門に帰依したとはいえ救われようのない御方でございます。
女三の宮を恋しく思われた朱雀院は娘に手紙を贈りました。
その内容は宮の御身を気遣うと共に夫を信じ、人を恨まずに顧みられなくとも北の方として心穏やかに過ごすようにと記してありました。
その文を読むにつけても院は私を薄情と思召されるのであろうと気が重くなる源氏の君です。
「お返事は気をつけてお書きなさい。あなたは何事も深く考えるところがおありでないので、院もその辺を案じられているのでしょう。それにしても私はあなたを粗略に扱ったつもりはないのに誰が院の御耳にいらぬことを吹き込むのでしょうね」
その源氏の言葉を聞いて宮は情けなく俯いておられます。
「私を年寄りと馬鹿にしてもかまいませんが、年長者として助言を聞く価値はあると思いますよ。まぁ、もっとも宮さまは若い男を頼もしいと思われるかもしれませんがね」
ちくちくとあてこする源氏の言葉に耐えられず宮は涙を流されました。
「ああ、本当に嫌な老人になってしまいましたね、私も」
源氏がそう言って顔を背けるのを、誰あろう今の宮ほど悲しく思われる御方はおられないでしょう。

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