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紫がたり 令和源氏物語 第百十一話 須磨(十八)

 須磨(十八)

須磨の裏山にも樺桜が咲き初めるようになった頃、源氏は宮中にて花の宴が行われたことを思い出しておりました。

須磨での生活ももう一年にもなろう。
今頃は紫宸殿の左近の桜も見頃だろうに・・・。

などと、ぼんやりしていると惟光が慌ててやって来ました。
「殿、大変です。いや、うれしいことに・・・」
知らせを聞いた源氏は邸を飛び出しました。
見ると、遠くに懐かしい顔が見えるではありませんか。
宰相の中将(かつての三位の中将、葵の兄)が馬に乗って大きく手を振っています。
「おおい、源氏の君よ。久しいな」
なんとありがたいことでしょう。
親友は都から罪人となった友を訪ねてくれたのです。
「中将、言葉もでないよ。懐かしい。よく来てくれた」
二人は手をしっかりと握り合い、肩を抱いて嬉しさに涙を流しました。
「君の美しさは衰えないな。いや、むしろ神々しさが増しているよ。女っ気がないから神仏に近づいたのではないか?」
中将は相変わらずの軽口で泣きながら笑っています。
「君こそ相変わらずだなぁ」
源氏も久しぶりに心から笑いました。
「どんな破れた住まいかと思ったら、気が利いて居心地もよさそうじゃないか。どれ、中も見せてくれよ」
田舎生活を見たことのない中将はもの珍しそうに何でも興味津々です。
貴族の邸では見ないような調度品やきこりが作ったような碁盤などはこの山暮らしにはぴったりで趣があります。
邸内は仕切りがあまりなく、源氏が勤行する御座所なども一瞥で見渡せます。
「このくらいの広さの方が何をするにも便利でよさそうだな」
そう気楽に中将は居間に上がりこみました。

源氏は何か土地の物でもてなそうと思い、顔見知りの海士に声をかけさせました。
ほどなくして貝や魚などを携えた海士達が大勢やってきて、いろいろと今日の成果を見せてくれました。
中将が目を丸くしたのは、ひどい訛りで何を言っているかよくわからない下賤の者に源氏自らが声をかけて、労っていることでした。
それはかつて帝の皇子として生まれ、一線を画した存在と崇められてきた源氏の姿とは似ても似つかないものだったからです。
そうかといって卑屈になっている風でもなく、どこか器が大きくなったように感じられるのでした。

次のお話はこちら・・・


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