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紫がたり 令和源氏物語 第七十一話 葵(十四)

 葵(十四) 

源氏は紫の上を妻にしてからというもの、昼も夜も姫が恋しくてたまりません。
自分でもどうかしてしまったかと思われるほどで、参内していても、姫の面影が脳裏を離れないのです。
他の女君達からはつれないことへの消息などありますが、妻を亡くしたばかりなので、とやりすごして紫の上だけに愛情を注ぐ日々を過ごしております。
「もう大人ですから、そろそろ父宮にあなたのことをお知らせしようか」
源氏の言葉に紫の上はとても喜びました。
失踪するような形で邸を出ましたが、父宮は唯一の肉親です。
元気に暮らしていることを知らせれば安心してもらえるでしょうし、優しかった父を思い出すと会いたくて仕方がありません。
「では年が明けたらそのようにしましょう」
そう源氏が約束してくれたので、紫の上も今は新妻らしく微笑むのでした。

年が改まると元旦は例年のように慌ただしくなります。
源氏は参内して帝に挨拶を済ませると父院の元へ拝賀し、ふと内裏で顔を合せなかった左大臣が気になってそちらへ足を向けました。
息子の夕霧は顔立ちもしっかりしてきて、益々春宮と瓜二つのように思われましたが、男の子らしく自力で這いまわれるようになっておりました。
左大臣邸は葵の上を亡くした悲しみからいまだ解放されず、新年といえどひっそりとしております。
毎年葵の上の部屋の衣桁に源氏の新年の装束が掛けてあるのですが、今年も見事な衣装が掛けられていて、ここに葵だけがいないということを源氏も寂しく感じました。
左大臣も大宮も源氏の訪れを涙を流して喜んでおられたので、今日のこの日にもしも自分がここへこなければ、この大切な家族達は暗く沈んでいたのかもしれないと思うだけでも、この方達を大切にせねば、と改めて身につまされる源氏の君です。

新春のよき日に兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)は二条邸を訪れました。
まだ寒さは厳しいですが、梅の香りが漂う穏やかな春の日です。
二条邸を訪れたのは初めてのことですが、屏風などは気の利いたものが配され、贅をこらしてあるものの仰々しくはなく、随所に源氏らしい趣味の良さが感じられて居心地のよい邸です。
兵部卿宮は風流男(みやびお)として知られ、審美眼の高さに一目置かれる御仁なので、庭がまた素晴らしいことに感嘆の声を漏らされました。
「姫が参られました」
女房の重々しい先触れに振り向いた兵部卿宮は数年来顔を合わせていなかった娘の姿を見つけました。
「姫。なんとまぁ、再会できてうれしいことだろう。早く顔を見せておくれ」
扇で顔を隠しながらしずしずと歩み寄った紫の上は静かに扇をたたみました。
そのしとやかに美しい様子はまさにあの幼い姫が立派に成長された姿で、目元に残る愛らしさに昔の面影があり、自分のどの娘たちよりも高貴で美しいと思っていたことに間違いはなかったと宮はうれしさに涙を流されました。
急にかどわかされたような形で無くしたと思っていた愛娘を前にして、いろいろと思う所はあるものの、源氏の君と並ぶとまさに似合いの一対です。
天下一の婿を引き当てた娘を心から誇らしく思われるのです。

その日、紫の上は父宮の御手で腰裳を結っていただき、大人の女性として、源氏の正夫人として世に知られました。

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