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紫がたり 令和源氏物語 第十九話 夕顔(三)

 夕顔(三)

それはちょうど夏の盛り、源氏が六条御息所を負担に感じ始めた頃の出来事でございます。

源氏は肉親との縁が薄く、そんな彼に愛情を注いで育ててくれた人がありました。それは最も近しく、母とも慕う大弐という乳母(めのと)です。彼女は源氏の側近・惟光の母で、つまりこの主従は乳兄弟という強い絆で結ばれた間柄なのでした。
その大弐が病で臥せていると聞き、源氏は見舞いに五条にある邸を訪れました。

五条のこの辺りは貧しい者たちが住むところ。小さい粗末な家屋が垣根を隔てて密集しており、道も広くありません。
現代の下町のような風景を思い浮かべていただければ様子がおわかりになるでしょうか。語弊があると困るので今ひとつ。人の距離が近くて和やかに、ざっくばらんと人情あふれる人々が裏表なく暮らしているのが五条というところなのです。


源氏はお忍びということで随身(ずいじん=供の者)も少なく、車も簡素なものにやつして先払い(=車の主を声高に示して道をあけさせる者)もつけなかったので、身分が知れないと思い、御簾をあげて下々の生活を面白く眺めておりました。
以前の『雨夜の品定め』によると、この辺りに住む者は下流というところになるのでしょうか。

しかしながら、乳母の邸の西隣に小奇麗な家屋に新しい網代の檜垣をめぐらした邸があるのを見ると、おや、と首を傾げました。
洒落た御簾を引きおろし、なんとも涼しげな佇まいで、数人の女房たちがこちらを伺っているようです。
このような場所にあって雅な住まいを構えているのはどのような人か、と源氏は興味をそそられます。
檜垣には蔓が這い、見たことのない白い花が咲いているので、
「うち渡す遠方(おちかた)人に物申すわれ」
古今集にある旋頭歌(せどうか)の上の句を口ずさみました。
旋頭歌とは、五七七、五七七の定型を持つ歌のことをいいます。
源氏が口ずさんだ元歌は、
 
うちわたす遠方人に物申すわれ
   そのそこにしろくさけるは何の花ぞも

というものです。

「これは『夕顔』と申すもの。下々の家に咲く花でございます」
そう随身が答えるのを面白いと思い、一輪手折るよう命じました。
すると例の邸から山吹色の生絹(すずし)が愛らしい女童が白扇を差出し
「頼りない蔓草ですから、こちらに載せて差し上げて下さい」
そう随身に渡しました。なんとも粋なはからいか。

夕顔の花は賤しき家に咲くと言っても白く可憐だと源氏は珍しく思いましたが、はやその扇の持ち主に興味を惹かれたようです。
白扇には上品な香が焚き染められており、

 心あてにそれかとぞ見る白露の
    ひかりそえたる夕顔の花 

と詠んでありました。

(白露が光を添えているように美しい夕顔のようなあなたは源氏の君でいらっしゃいますね)

恐らく宮中にお仕えしていたような気の利いた女房がこのような機転をきかせたのであろう、源氏は薄く笑いました。

次のお話はこちら・・・


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