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紫がたり 令和源氏物語 第百七十話 松風(七)

 松風(七)
 
その日源氏は嵯峨野の御堂の方へ出向き、お勤めする者たちにさまざまな供養のことなどをこと細かく指示しました。
毎月の十四日、十五日、晦には必ず入念に仏事を執り行うことなど。
 
御堂の飾り付けなどについても入念に行い、まるでこの御堂に極楽浄土を構築するかのごとく贅を凝らしたものになりました。
御堂での用事はこの日のうちに済ませて、明石の上とのんびり語らいたいと思う君です。
すべてが終わる頃には月が昇っていました。
馬に揺られながら惟光と共に大井の山荘へ向かう道行は、あの明石での山手の御殿に通った宵を思い出させました。
「惟光よ、明石でもこんな晩があったなぁ」
「は、今となってはよい思い出のような気がいたしますが」
「うむ、近頃は多忙で月を愛でることも久しきことよ」
ぼんやりと浮かぶ月が懐かしく、源氏は松薫る夜気を深く吸い込みました。
やはりそこには明石の上への愛しさが満たされていくばかりです。
大井の邸に着いた源氏は明石の上と共に端近に月を愛でていました。
明石の上もあの時を思い出したのでしょう。
源氏が約束に預けた七弦琴を御前に差し出しました。
愛器を目前に何とも言えない気持ちで源氏は爪弾き始めました。
 
源氏:契しに変わらぬことの調にて
    たえぬこころのほどを知りきや
 (琴の調子が変わらぬうちにと約束しましたね。その言葉通りにお会いして、私の変わらぬ心がおわかりになったでしょう)
 
明石:変わらじと契りしことを頼みにて
      松のひびきに音をそへしかな
 (あなたの言葉を信じて、寂しい時にはこの琴を頼りに掻き鳴らしながら松風の響きに音を添えてまいりました)
 
翌日は都へ戻る日なので、陽が高くなるまでこちらで過ごそうと思っておりましたが、源氏を慕う若い貴公子達が大井の山荘を探し当てて、訪れました。
復権してから源氏は人材の乏しさを目の当たりにし、次代を担う若者の養育に力を尽くしてきたのです。
才能溢れる若者を取り立て、時には自らあらゆることを教授してきました。
それゆえ源氏に憧れ、慕う若い公達が多いのです。
 
「この隠れ家を探し当てられるとは、まいったな。」
そう予定より早く出立することになりましたが、いざ立とうとすると、小さい姫と別れるのが辛くてなりません。
「まったく私は不思議と気苦労の多いことよ。この姫を見ないでどうして過ごせと言うのか」
源氏のため息交じりの嘆きに乳母(めのと)は、
「これから先の姫の扱いが肝要ですわよ、源氏の君」
そう賢しらなことをいうのももっともであります。
姫をいつまでもここへ置いておけば日陰者のように世間では見るでしょう。
しかし明石の上はそうそう東院に移る気配を見せません。
源氏との別れが辛くようやく見送りに出てきた上を慰め、無情と思われても心裡では姫だけでも二条邸へ引き取ることを考え始める源氏の君なのでした。

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