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紫がたり 令和源氏物語 第三百八十七話 横笛(四)

 横笛(四)

「きっと秋の夜長の風流と故人も許されるに違いありません。そうそう、この破れた邸には似つかわしくない名笛を埋もれさせるのも惜しゅうございます。どうぞお持ちくださいませ」
そうして贈られた横笛は柏木が生前に愛玩していた名笛なのでした。
「お帰りの道すがらのお供に先触れとにぎにぎしく吹き鳴らしてくださいませ。夕霧さまにお持ちいただいた方がこの笛も喜ぶことでしょう」
「ああ、この笛は柏木が愛用していたものですね。大納言はこの笛の妙音をなかなか奏でることができぬ、と仰せになっておられました。あれほどの名人にそのように言わせた名笛を賜ろうとは、まことに畏れ多いことでございます」
「存じませぬが、たいそうな由緒があるということだけは聞き及んでおりますわ」
「柏木はいつしかまことの持ち主が現れたならば譲りたいものだ、と言っていた名笛です。私がこの笛に相応しいかどうかはわかりませんが、いずれ現れる受け継ぐ者のために一時お預かりいたしましょう」
懐かしい柏木の人懐こい笑みが脳裏に甦り、夕霧は試しに一節吹き鳴らしました。
盤渉調の澄んだ音色が夜気に溶ける。
その美しい音色に御息所は感嘆の溜息を吐かれました。
「すばらしい音色ですわね」
「いいえ、やはり柏木にはかないません。私では役不足に思われます」
天下の大将という身分でありながら驕ることも無い。
夕霧がそう遜るのを御息所は好感を持っております。
 
御息所はしみじみと詠みかけました。
 
露しげき葎(むぐら)の宿にいにしへの
        秋にかわらぬ蟲の声かな
(露にまみれ葎が生い茂る荒れた宿には柏木がいた頃と変わらぬ蟲の音が響いておりますね)
 
夕霧はあはれ、と御息所に返しました。

横笛の調べはことにかはらぬを
     空しくなりし音こそつきせね
(横笛の音色は昔と変わりませんが、その亡き持ち主を偲んで悲しむ虫の声は尽きることがありませんね。柏木は実に惜しい人でした)

夕霧は御簾のあちら側で沈黙を守る宮に心を残しながら、一条邸を後にしました。
やんわりと牽制されましたが、そうそう簡単に靡かれぬのも、皇女というもの。柏木の喪があけたばかりでは、そう容易く手にも入るわけでもなし。
そもそもこの夕霧は、待つことに関しては、雲居雁を永年にかけて思うほどに忍耐強いのです。
十六夜の月がほんのりと世を照らすなか、夕霧は賜った笛を静かに吹き鳴らしました。その音色には宮を想う気持ちが溢れるほどに滲み出ております。

この笛の音は柏木に届くだろうか?
君は私のことをどう思うのだろう。

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