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紫がたり 令和源氏物語 第三百十五話 若菜・上(九)

 若菜・上(九)
 
新しい年を迎え、女三の宮が源氏に降嫁されることが明らかになると、名乗りをあげていた者たちが無念の想いを呑み込みつつ口を閉ざしたのは言うまでもありません。何しろ相手は准太上天皇の位を戴いた源氏の君なのですから、敵うはずもないのです。
冷泉帝も女三の宮の入内を望まれておりましたが、あえて何も仰いません。
それよりも源氏の四十の御賀を国をあげて盛大にお祝いしたいとその旨を伝えました。
しかしただでさえ身分の重くなったのを素直に喜べない源氏はすべてを辞退してしまいました。
准太上天皇となられても控えめな御仁であるよ、そう世の人々は褒め称えましたが、本当のところは如何なものでしょうか。
四十歳といえば“初老”と呼ばれるのです。
まだまだ息子には負けておられぬ、と気概に満ちた君にはそのように歳を祝われるというのが受け入れられないという意志もあったのでしょう。
しかし正月二十三日に今は左大将となった髭黒殿と玉鬘が子供たちを連れて六条院を訪れ、思わぬ御賀の式が催されたのです。
 
この日は年明け最初の子(ね)の日なので「根引き松」という行事を行う日でした。
「根引き松」とは、若松を根ごと引き抜いて植えかえるのですが、その際に祖霊に敬意を表し、一族の繁栄と長寿を祈った風習です。
源氏はてっきり玉鬘は新年の挨拶と「根引き松」の行事を共にしようと訪れたとばかり思っていたものを、どうやら紫の上とも示し合わせていたようで、すっかり祝いの場が整っているのでした。
玉鬘は洗練された趣味の良い人であったので、座のしつらえといい、調度は品よくそれでいて仰々しくないところが源氏好みであります。
「なんと驚かせてくれるものだ」
さすがの源氏もこの場を辞退することは出来ませんでした。
「お父さまが帝のお申し出をご辞退されたと聞きましたので、ごく内輪のお席でならばよろしいかと。やはりこうしたお祝いごとをおざなりにするのは縁起がよくないですもの」
そう言って玉鬘は艶やかな笑みを見せました。
今ではすっかり落ち着いて権門の夫人たる風格さえ漂っているように思われます。
玉鬘は源氏の為に用意した初春の若菜を御前に差し出して詠みました。
 
若菜さす野べの小松を引きつれて
    もとの岩根を祈る今日かな
(長寿を祝う若菜を携え子供たちと共に御賀を言祝ぎに参りました)
 
源氏はそれを受けて、ほんの形ばかり若菜を食すと盃を取り変歌しました。
 
小松原末の齢にひかれてや
   野べの若菜も年をつむべき
(かわいい孫たちの将来にあやかって私も年を重ねると致しましょう)
 
招かれた客人も続々と六条院を訪れました。
普段源氏に目をかけてもらっている上達部からあの太政大臣までそこにいるではありませんか。
「内輪ということだが、どうしてこれでは大宴会になりそうではないか」
源氏が嬉しさを隠せないでいると、玉鬘は言いました。
「お父さまが皆さまに慕われているという証ですわ」
「源氏よ、君も四十であるとはなぁ。いや、めでたい」
若々しく目配せする太政大臣は源氏を前にするとつい昔に戻ったように茶目っ気いっぱいな笑みを浮かべてしまいます。
朱雀院がご病気であるので華々しく楽人を召すことはしませんでしたが、太政大臣は名器を準備していて、厳かに合奏が始まりました。
和琴の名人である太政大臣がなかなかその腕前を披露することはありませんでしたが、この日ばかりはと秘技を尽くして奏でられるのでその音色の妙やかなこと。
玉鬘は噂に聞いた実の父の名手をようやく耳にすることができました。
親王方が目を丸くして驚かれたのは太政大臣の長男・柏木の衛門督の手でした。
父君とはまた違った風ですが、類まれな調べの中に不思議な揺らめきをみるようで、心に染み入るような音色なのです。
徐々に陽が暮れて楽の調子もしんみりと律調(短調)に変わるとほどなくして宴はお開きとなりました。
 
源氏は玉鬘と会えたことを嬉しく感じておりました。
以前は邪な想いなどを抱いたこともありましたが、巣立った小鳥は立派な女人に成長しておりました。
そして心許せる友や子、孫が集うことのありがたさ、己の重ねた歳月をしみじみと想いながら、心からの感謝で涙を流しました。

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