紫がたり 令和源氏物語 第百三話 須磨(十)
須磨(十)
朧月夜の姫は源氏が自分の為に流転する羽目になったことを心から嘆いておりました。
そして自身も困難な状況にあることを愁いております。
右大臣は六の君を溺愛していたので、穏便に事を納めてしまおうと画策しておられましたが、弘徽殿大后がどうしても源氏を排斥する志を変えなかったので、自然と二人の密事が後宮に知れ渡ってしまったのです。
そうして源氏は都を離れることになったわけですが、朧月夜の姫は宮中への昇殿禁止となり、邸に軟禁されることになりました。
もし仮に謹慎が解けたとしても、後ろ指を指されて笑いものになることは今の姫でも容易に察することが出来ます。
このまま宮中に上がることなど無くても良いとさえ思っておりましたが、帝は姫を赦される御意向です。
后という立場ではないのだから、はや参内せよとのお達しです。
姫にもっとも近い女房、中納言の君は姫の心裡を察し、気の毒で仕方がありません。
「中納言、主上(おかみ=帝)はわたくしを御赦しになるそうよ」
打ちひしがれた姿が痛々しく、自嘲の笑みを漏らす姫を目の当たりにして、中納言の君にはかける言葉も見つかりませんでした。
「泡になって消えてしまうことが出来ればどんなにか楽なことでしょう。いっそあの御方のおられる須磨の浦の泡になりたいわ」
「お姫さま、お辛いのですね」
「ええ、とても辛いわ。わたくしは心のままに人を愛しただけなのに」
「お可哀そうなお姫さま」
中納言の君は愛しい方と添えない姫君が気の毒でなりません。
「国で最も尊い御方(=帝)を裏切った罰なのね。・・・ならば、潔く罰を受けるしかわたくしには術がありません。もの笑いの種になっても耐えぬいてみせましょう」
中納言の君は気丈に涙を見せようとしないこの姫の代わりにさめざめと涙を流しました。
源氏が去った二条邸は光を失ったように暗く沈んでおりました。
仕方のないことですが、紫の上の嘆きは深く、気力もありません。
ふと目をやると源氏がいつも爪弾いていた琴が目に入り、すぐそこの柱にはよく笑いながら寄りかかっていたものだと思うと寂しくなり、あれもこれもとそこかしこに源氏の温もりが残っていて、やりきれなくなるのです。
死に別れたのであればいっそ諦めがついて時が心を癒してくれようものですが、生きていつ会えるかわからないというのは無下の苦しみなのです。
「わたくしはこの寂しさに耐えられるのかしら」
そう漏らす紫の上が不憫で何とか励ましたい少納言の乳母(めのと)です。
しかし幼い頃から源氏に慈しまれ、夫婦となってからも離れることが無かった二人の別離の辛さは言葉に表せるようなものではないでしょう。
「お姫様、お嘆きはよくわかりますわ。でも姫は源氏の君に代わってこの二条邸を守る女主人となられたのですよ。気をしっかりお持ちください。きっと殿さまは慣れない暮らしで難儀しておられますわ」
「そうね、少納言。あなたの言うとおりだわ。わたくしが殿にして差し上げられることはたくさんあるわね。まずお召し物や夜具などを送ってさしあげなければ」
源氏の為にと思うだけで不思議と力が湧いてきて、離れたことで改めて源氏への愛を知った紫の上です。
東の対で源氏の側近くに仕えていた女房達は紫の上の人となりに触れ、その愛情に満ちて優れた人柄に感じ入りました。
何よりその美しさに感嘆せずにはいられません。
さすが主人の大切にされる北の方、とみなの心もひとつにまとまったようでした。
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