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紫がたり 令和源氏物語 第百二十七話 明石(十四)

 明石(十四)

明石の姫は思った通りの素晴らしい女人でした。
得てみてさらに愛情は増していきます。
それでも紫の上のことを考えるとそう足繁く明石の姫の元には通えなくなる源氏の君です。
明石の君に向い合えばその人だけを想い、一人の時は紫の上を想う、殿方の心には女人を住まわせる部屋がいくつもあるようで、そればかりは女の私には測り知れないところでございます。
遠い都の空を思い遣りながら源氏は紫の上に手紙をしたためました。

 しほしほとまづぞ泣かるるかりそめの
     みるめは海人のすさびなれども
(あなたが恋しくて涙が溢れてきます。仮初に逢った女性とのことは海人としてのほんの戯れですが)

この歌を見て紫の上は夫が他に女性を娶ったことを知りました。
手紙には紫の上を想う気持ちが細かく綴られ、このように自ら告白するのもあなたを想っているからだと書かれていますが、その言葉の空々しく響くこと、紫の上は裏切られた気持ちで一杯になりました。
また相手の女性をつまらぬ女で、などと書くのも気に食わないものです。
相手の女性を卑下したからといって紫の上の価値が上がるわけでもなければ、下がるわけでもないことを紫の上本人がよく知っておりますし、それは何の意味もなさぬこと。むしろ男の聞きづらい言い訳と思えて仕方がないからです。
紫の上は歌を詠んで遣いに持たせました。

 うらなくも思ひけるかな契りしを
     松より浪は越えじものぞと
(わたくしは何の疑念も露ほども持たずにあなたを信じ切っておりましたのに、末の松山より浪は高くはならないというお話は嘘でしたのね)

紫の上が引き合いに出した「末の松山」とは有名な歌が元になっています。

契りきなかたみに袖を絞りつつ
      末の松山浪こさじとは
(ともに涙を流しながらお約束を致しました。末の松山が浪に呑まれることが無いように、私達の愛も変わらぬと誓ったものを・・・)

この「末の松山」は、歌枕として言い継がれてきたものですが、実は作者は清原元輔、かの清少納言の父君です。
平安時代初期に東北で巨大な地震(貞観地震)が起こりました。
その時海岸にせり出した松が津波を超えさせなかったということから、「末の松山」とは太陽が西から昇らないように、決して起きないものの例えとして歌枕となったのです。

紫の上からの文を見るにつけても、源氏はまた思い悩んで明石の君の元へも通わずに独り寝がちに過ごし、寂しさを紛らわせるのに絵などを描いて過ごしています。
ちょうど都の紫の上も塞ぎがちな気持ちを慰めようと季節の移ろいなどを絵筆ににじませていました。
このように遠く隔てても似通った行動をとるのはまことに心の通じた夫婦の証でしょうが、二つの魂は深く傷ついているのでした。

明石の君は源氏の足が遠のいていると悲しんでおりました。
親の野心の為ではなく、真心から源氏を慕って結婚したものを、はや恐れていた事態に直面して惑うているのです。
しかしやきもきしている両親の手前、自分が取り乱してしまってはと己を抑えております。
時折通ってくる源氏に対しても恨み言は言うまいと身分高い女人のように振る舞っておりますが、その心中たるや悲しみに打ちひしがれているのを君は何もご存知ないのでした。
とかく男女の仲はままならない、と申しますが、まったくそのとおりでございましょう。

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ラボオシリス②

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