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紫がたり 令和源氏物語 第四百二十三話 御法(一)

 御法(一)
 
あの例の御息所によってもたらされた紫の上の病は元凶が消えたことで去ったように見られましたが、長く患っていたために体は衰弱し、元のようにまでは回復しておりません。
体調は日によって違い、起き上がれる日もあれば、頭さえ上がらぬ日もあるので、紫の上はそんな自分の命がもう長くないことを悟っております。
大切に育てた明石の姫は中宮に冊立され、国母という大任を担うまでの女人に成長されました。
 
もう何も思い残すこともない。
今までよく永らえた。
ありがたいこと。
 
そうして神仏に感謝の念を奉げるほどにこの人は清らかに澄んでゆくようです。
紫の上が病がちになってからというもの、源氏は人の目も気にせずに上のことばかりを大切にしていたので、女三の宮の御父・朱雀院や今上が宮を軽んじないよう二品の宮としたことは先に記した通りですが、宮が御出家された今となっては、源氏は誰に憚ることなく紫の上に添うているのでした。
あれほど上を悩ませた忍び歩きもめっきりなりを潜めて、源氏を恨む女人もありましょうが、それはまた別のお話なので控えましょう。
そんな源氏を見るにつけても紫の上はこの君を悲しませてはならないと気を強く持ってここまで長らえてきたのです。
しかしその年はそれまでとは感覚が違いました。
もうすぐ春になろうという頃には空気も温み過ごしやすいのですが、どうにも気怠くなかなか気分の晴れない上でありました。
今からこの様子では夏も超えられるかどうか、そこにちょうどかねてから人に書かせていた法華経千部が出来上がったということですので、紫の上主催で大掛かりな法要が営まれることとなりました。
紫の上は源氏に出家を許されぬ身でしたので、せめてこうした供養をして己の罪障を浄めたいと考えているのです。
心裡ではこれが最後の仏事になるであろうと考えているので、それは念入りにいろいろと準備を始めました。
この頃紫の上は懐かしんだ二条邸へと戻っております。
少女の頃から馴染みのあるこの邸で人生も終わりたいと法要もこちらで営むこととなりました。
 
そうして三月の十日。
陽差しは温かく桜の花もこの数日で一気に開きました。
芳しい香りに包まれた二条院には続々と高貴な牛車が着けられて、上達部や親王方、そして六条院からは花散里の君や明石の上も渡られました。
紫の上の洗練された趣味の良さが変わらず随所に施され、御仏の前に敷かれる錦までも鮮やかに美しい。
くゆる香も上品で花の香りとあいまってえもいわれぬうちに読経の声が響き渡り、その尊さに阿弥陀如来のおられる極楽浄土もこのようであるか、と集う人々は感嘆の涙を禁じ得ないのです。
紫の上は御簾の内から集まられた方々を拝顔し、そのありがたさにひとりひとりにひっそりと心の中で礼を述べながら別れを告げているのでした。

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