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紫がたり 令和源氏物語 第七十七話 賢木(六)

 賢木(六)

ひっそりと雪の降る日に中宮をお迎えにあがるため、兄の兵部卿宮が参内されました。
院がご存命でいらした頃は、輝くばかりに磨き上げられていた御殿は過去のもの。人少なで寂しげな様子も物悲しい。
音もなく雪が舞い降りるなか、中宮の居間は静謐に包まれております。
兵部卿宮と差し向かいに控える源氏はしみじみと故桐壷院の思い出などを語り合いました。
宮は前栽の五葉松に雪が降り積もるのをせつなくご覧になり、詠まれました。

 陰ひろみ頼みし松や枯れにけん
      下葉散り行く年の暮かな
(枝葉が伸びて下草が枯れ、頼みの松=桐壷院がいなくなってしまわれたのも悲しいが、お仕えしていた者達も散り散りになってしまった悲しい年の瀬であるよ)

源氏も池が一面氷に覆われているのを眺めて詠みました。

 さえわたる池の鏡のさやけきに
      見なれし影を見ぬぞ悲しき
(池が鏡を映すように澄んでいるというのに、見なれた父院の御姿がもうそこには映らないのだと思うとまた悲しさが込み上げてくるのです)

王命婦も寂寥感に打ちひしがれて詠みました。

 年暮れて岩井の水も氷とぢ
      見し人かげのあせも行くかな
(暮れゆく年の瀬に岩の間から湧いた水も氷に変わる寒さもわびしいことであるのに、見なれた人たちが去ってゆくさびしさも耐えがたいものですね)

ご実家の三条邸に下がられる際にはその都度心を残してゆく寂しさというものがありましたが、今回の宿下がりでは二度とこの御殿には戻ることはないのだと思召されるだけで、中宮は時代の残酷さを噛みしめられ、暗澹とした心持ちで平穏に暮らした懐かしい藤壺をご覧になられました。
もはやご実家におられた時間よりも長く亡き院と過ごした時間の方が勝っているもので、その喪失感たるや計り知れないのです。
これからこの身はどのようになってしまうのでしょう?
もはや中宮とは名ばかりのこと。
頼りない身の上に不安を覚えつつ、静かに御車にお乗りになられました。
こうして桐壺院にお仕えしていた女御や更衣などは実家に戻られたり、院の魂をお慰めするべく出家されたりなどして散り散りになり、一つの大きな時代が幕を閉じたのです。

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