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令和源氏物語 宇治の恋華 第百三十一話

 第百三十一話  親心(八)
 
次の間では薫大将の御姿を一目垣間見たいと若い女房たちが色めき立っております。
「薫大将さまといえばこちらの匂宮さまと並び称される当代一の貴公子という噂ですもの。素敵な殿方なのでしょうね」
「あら、宮さま以上の御方なんてそうそうおられないわ」
こちらに来てすっかり匂宮に心酔した女房が反論するように、北の方もあれほど尊い御方を凌ぐ貴公子がそうそういるとは思われないのです。
ほどなくしてまず高貴な芳香が漂ってきたのを不思議に感じると、北の方はその主である薫大将の御姿をはっきりと見ました。
 
 まぁ、なんと美しい御方であろうか。
 
匂宮は色香のある魅力的な方なれど、薫大将の典雅な佇まいはけして宮に引けをとらぬ、と北の方は目が離せなくなりました。
つと居住まいを正す姿も気品に溢れ、まなざしは理知的で温かい光が宿っております。
このような御方に愛されるのであればたとい年に一度の織姫と彦星のような逢瀬であっても悔いはないであろう、とさえ思われるのです。
「御無沙汰をしておりました。お元気でいらっしゃいましたか?」
その御声は清々しく思い遣りに溢れております。
「はい、おかげさまで変わりなく」
「先日宇治へ赴きまして御堂の移築を確認して参りました。山は緑も鮮やかで昔となんら変わらず懐かしい思い出が甦りましたよ」
「御足労いただきましていたみ入りますわ」
「あなたは私に妹姫がいられるのをお話し下さいませんでしたね」
薫がずばりと核心に触れたのを中君は笑んでいなします。
「わたくしもつい最近まで存知ませんでしたもので」
「私に気を遣われたのですか?」
「それはなんとも。わざわざお伝えするのも妙なことかと思いまして」
「驚きましたよ。亡き大君がそこに居るのかと不覚にも涙がこぼれてしまいました」
「それでお世話なさろうと考えられたのですね」
「もうお耳に入っておりましたか。大君ではないことくらい心得ておりますよ。そんな形代のような扱いはできません。何しろあなた同様敬愛する八の宮さまの忘れ形見なのですから。心を込めて仕えさせていただこうと考えております」
中君は薫に真実を告げぬのは卑怯であるように思われて慎重に切り出しました。
「実は今その姫がこちらにおりますのよ。母君も一緒でございます」
「そうでしたか。私の気持ちが通じるとよろしいのですが」
そうして宮の姫の話はそこで終わり、薫は匂宮の若君を抱かせてもらいながら世間一般の話などをつれづれとして座を立ちました。
「薫る大将さま、という通り名は本当でございますわねぇ。あの芳香は生まれ持ってのものだそうですわ」
「御仏の教えにもありますわねぇ。身から芳しい薫りが立ち上るのは功徳が優れて尊い御霊をお持ちであると」
「ほんに。加えてあの凛々しくも美しい様子はただ人とは思われませんわ」
女房たちがそめそめと興奮しているのでつい宮の姫も興味を持たれて、はしたないとは思いつつもその御姿を覗き見ました。
端正な横顔の清々しい美青年は薄い色の直衣を涼しげに、まるで軽い羽のようにふんわりと纏っておりました。
そして女房たちの言うように清廉な芳香が仄かに漂うのが不思議に思われます。
薫君がお世話をしようとする女童に膝をついて目を合わせ、優しげに何事か語りかける御姿は小さき人にも気遣いを見せる温かいお人柄に思われて、宮の姫はほんのりと頬を染めました。
側に控えている乳母は初々しい姫君の様子に目を細めながら、この姫があの大将の君と幸せになれればこれ以上のことはない、と密かに願うのでした。

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