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令和源氏物語 宇治の恋華 第百三十二話

 第百三十二話  親心(九)
 
常陸の守の北の方は薫大将に大きく心を動かされました。
中君には申し訳ないことなれど、匂宮は美しく愛嬌があって魅力的ですが、ただそれだけの人という印象で人間的な奥行きを感じません。
皇子であるという高貴な身分にあの天真爛漫な性質は、それは数多の女人が魅了されずにはいられないでしょう。
しかしながら行く末も固く誓い、宮の姫を守ってくださるのは薫君の方であると直感したのです。
北の方は宮の姫の気持ちは如何かと尋ねました。
「姫、薫大将さまをご覧になりましたか?」
「はい」
「あの君が姫を妻にと仰ってくださっているのですよ」
「まぁ、あの御方が」
「姫は薫君を垣間見られて如何思われましたか?」
「わたくしなど不釣合いに思われるほどに立派な御方でございました」
頬を赤らめて恥らう姫は乙女らしく匂やかで、気持ちが無ければ乙女はそこまで色付かないことでしょう。まるで薄紅の桜びらのようです。
北の方はやはりあの大将の君に姫を差し上げようと決めました。
「不釣合いなどではありませんよ。きっと横にお並びになれば輝くほどにお似合いの夫婦と見えましょう」
「でも母上さま、薫さまには正妻の女二の宮さまがいらっしゃいます。わたくしなぞとてもお側に寄れませんわ」
「心配なのですね。しかしながらあの君は誠実なお人柄で思慮深く、御心を決められたらけして違えないとうことです。何しろお主上にも見込まれるほどですからねぇ。わたくしのかわいい姫、あなたには幸せになってもらいたいとそればかりを願って幾年来過ごして初瀬の観音さまにもお願いして参りました。姫の宿縁は薫大将さまへと結ばれたとわたくしは思うのですよ。薫さまを信じましょう」
「はい」
宮の姫は素直に頷き、先刻のあの貴公子の姿を思い返して恋心を募らせるのでした。

翌朝、まだ夜も明けきらぬうちに常陸の守が北の方を迎える車を二条院へとよこしました。
宮の姫をこちらに預けて邸に戻るのは後ろ髪を引かれる北の方ですが、姫を委ねる先も決まったことですし、いくらか心も軽くなったようで、今一人の結婚したての末娘も心配なので致し方がありません。
北の方はくれぐれも宮の姫をよろしくと中君に懇願して迎えの車に乗りました。
まさかそこへ主人の匂宮が戻ろうとは。
近頃宮の母君である明石の中宮のお加減がよろしくないので宮は内裏で宿直しておりましたが、若君と妻恋しさに密かに二条院に戻られたのでした。
「む?このような時刻に潜んで我が邸から出ようとするあの車は何者か」
匂宮はどうやら薫君が忍んで中君に通ってきたのではなかろうかと勘繰っているようです。
「こちらは常陸殿の御車でございます」
東国訛りの下男が誇らしげに声高らかに答えるのを宮の家臣は鼻でせせら笑いました。
「受領ごときに“殿”など笑止千万」
道を譲って控えているところを男達にげらげらと笑われて、北の方は顔から火が出るほどに恥ずかしく、己の賤しさを改めて思い知ったのです。
しかしこの屈辱もすべてかわいい我が子の為ならば、と耐え忍ぶのでした。
匂宮は何やら先刻の常陸の守の車が気になり、中君が自分に隠し事をしているのではないかと訝しみました。
「あなたは何を私に隠し立てなさっているのです?」
「仰る意味がわかりませんわ、あなた」
「先ほど人目を忍ぶように出て行った車には薫が乗っていたのではないかね?」
「またそのようなお疑いを。大輔(中君の女房)が宮中に仕えていた折の友人が来たと聞きましたが、行って聞いてみればよろしいではありませんか。身に覚えのないことで責められてわたくしは辛うございますわ」
そのように萎れてあちらを向いてしまう中君はやはり可愛らしい。
「ごめん、ごめん。これもすべてあなたへの愛ゆえの嫉妬がさせることなのだ。そう思って許しておくれ」
匂宮はそう言って中君を引き寄せました。
中君は夫を謀ることに些かの良心の呵責を覚えましたが、あの北の方が必死に頼んだ妹姫を守ってあげたい、薫君と幸せになって欲しいと願う心の方が勝り、気持ちを強く持って夫を見つめるのでした。

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