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紫がたり 令和源氏物語 第六十二話 葵(五)

 葵(五)

源氏の車に紫の君と乳母の少納言の君が同乗し、和やかに祭見物に出立しました。
しかしながら盛大な祭を見物しようと昨日同様に物見の車が道の両脇にびっしりと立て込んで、なかなか車を止める場所がみつかりません。
馬場の大殿あたりでさてどうしたものか、と惟光が思案していると、近くに女房達が多く乗り合わせたらしい車から扇を差し出して呼ぶものがあります。
「場所をお譲り致しますので、こちらに車を立てられてはいかがでしょう?」
源氏と誰何しての呼びかけだとは思われますが、いったいどんな婀娜心を持った女人がこうして呼びかけるのであろう?
そう源氏は不思議に思いましたが、たしかに良い場所ですのでお言葉に甘えることにしました。
「このようなよい場所を確保されたのはまことに羨ましいかぎりですね」
そう源氏が呼びかけると、檜扇の端に歌が書きつけられて差し出されました。

 はかなしや人のかざせる葵ゆゑ
      神のゆるしの今日を待ちける
(あなたに逢えると思って神の許されるこの葵祭りを待ちわびておりましたが、まさかあなたが別の方と逢っているとも知らず、私の願いは儚く散ってしまいました)

まるで二人の車というように注連(しめ)を張っているような場所には私は入れそうにありません、などと書きつけてあります。

葵(あふひ)とあふひ(逢う日)は掛詞になっております。
神様の御光臨に逢ふ日ということです。
女の歌は源氏の君が他の女人と同乗していることを拗ねているのです。

源氏はその妙手に覚えがあり、さて誰であったか、と首を捻ります。
ふと、ああ、おばば様か。
源典侍であると、気付いたものの、さてもまだこのように若ぶっておられるのか、と苦々しく黒歴史が反芻されるのです。

 挿頭しける心ぞあだに思ほゆる
      八十氏人になべてあふひを
(あなたは私だけではなく、たくさんの男性と逢うためにその葵をかざしているのでしょう。相変わらず色好みですね)

あからさまに好色を揶揄した返歌です。
典侍は恥ずかしさに頬を赤らめて返しました。
 
 口惜しくも挿頭しけるかな名のみして
        人頼めなる草葉ばかりを
(かざした葵は逢う日などとは名ばかりで、私の願いを叶えてもくれない草葉をかざしてしまったのは悔しい限りです)

それにしても同乗者がいるとわかっていながら呼びかけてくるなど、おばば殿は相変わらず遠慮もせずにずうずうしいにもほどがある、と源氏の君は典侍の執着に呆れながら深い溜息をついたのでした。

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