見出し画像

令和源氏物語 宇治の恋華 第百六十四話

第百六十四話 浮舟(二十八)
 
薫は少し前から進めていた浮舟の為の邸の造作に本格的に取り掛かることにしました。
しかしながら表だって仰々しくして、薫右大将は女を迎える為に邸をこしらえている、と噂されては見苦しいものです。
密かに整えようと信頼する家司に差配を任せました。
運命とはまったく皮肉なもので、この家司こそ大蔵の大夫・仲信という、娘婿にあの匂宮の小飼いである大内記・道定を持つ者なのでした。
道定は妻との寝物語に薫君の動向を知り、本格的に浮舟君を迎える邸を普請していることを把握したのです。
「宮さま、薫右大将は本腰を入れて浮舟君を迎えられるようですぞ。とうとう内装に取り掛かり始めたようで、随身などの近しいものから絵師などを選んで豪奢な邸を作り上げようというところ。もう完成間近であると推察致しました」
「なに?こちらもうかうかしていられぬではないか。早急に浮舟を迎える邸を用意せねば」
焦りを禁じ得ない匂宮は乳母の一人に受領の妻である女がいたのを思い出しました。
今は三月、春と言えば任国へ赴く時期であり、期待通りにこの月の末には乳母は下国するという。
場所も下京辺りなので愛人を隠すにはうってつけの場所なのです。
匂宮は乳母が旅立つその日に浮舟を迎えようとその旨をしたためた手紙を贈りました。
浮舟は匂宮にそうと言われても即座に色よい返事を与えることができません。先に右近に指摘された通りに匿われる身になれば、数少ない肉親である中君や誰よりも自分を慈しんだ母君を捨てることになるからです。
何より自分が他の男と通じてその男に引き取られたことがわかれば、薫君は如何に思召すであろうか。
どれほど考えても答えなど出るはずもなく、悩み苦しむ姫の姿は痛々しい。
右近の君はそんな姫の様子を見かねて匂宮へ手紙をしたためました。
 
匂宮さま
浮舟さまをお引き取りになるという御志は大変ありがたくも嬉しいことではありますが、薫右大将さまもそのように思召していられるので困難かと思われます。
例の口うるさい乳母も姫の側に戻って参りましたので、殊更に姫の出京は無理でしょう。
 
この手紙を読んだ宮はそれで諦めるような気性ではありません。
さらに執着が増してどうにか薫の元から浮舟を奪ってやりたいと闘志を燃やすタイプなのです。
身を持しているところであるので、宮自身が宇治へ赴いて直接浮舟を口説くことはできません。ふたたびこまごまと綴った手紙を贈って何の心配もなく身を委ねよ、と励ますのです。
 
薫は浮舟を引き取る日を四月の十日と決めました。
それは陰陽博士にも占わせて家移りにも方角がよく、吉日として浮舟のこれからの生活が幸有らんことを慮っての日取りです。
もちろんその旨も母君の常陸の守の北の方に伝え、当日の女房たちの装束なども贈り、気遣いを絶やさぬ君なのです。
浮舟はそうした薫君のゆかしい心遣いをありがたく感じ、このまま君の元へ迎えられようとも思うけれど、宮さまとはもうお逢いできなくなると思うと胸の奥が苦しくて涙が溢れてくるのです。
誰にも伝えられぬ懊悩を抱えて、まだどちらへゆくとも決められぬ姫はまさに浮舟のごとく波間に漂うばかりなのでした。

次のお話はこちら・・・



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?