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令和源氏物語 宇治の恋華 第百六十五話

第百六十五話 浮舟(二十九)
 
娘(浮舟)の加減が悪いと聞いた常陸の守の北の方は、末娘のお産につき祈祷や読経で邸中が慌ただしく浮足立っておりましたが、どうにも心配になり、様子を伺おうと宇治へと赴きました。
久しぶりに見る娘は洗練された装束を着こなし、女性らしく匂やかな乙女となって磨かれて、薫君に大切にしてもらっているのだと安堵する母ですが、たしかに以前よりも痩せ細って悩ましげに伏していられるのが可哀そうでなりません。
「姫や。随分と痩せたように思われるけれど、お加減がよろしくないと伺って飛んで来ましたよ」
「お母さま、お会いしとうございました」
母の顔を見てしばらくぶりにほっと悩みから解放されるように感じる浮舟なのです。
母君は側に控える乳母や右近の君にどうした具合で体調がよくないのかを尋ねました。
「風邪でもお召になったのでしょうか?」
「それが先頃から急に食が細られて、気分が悪そうでいらっしゃるんですのよ」
乳母は悲しげに目を伏せます。
「懐妊ということはないのですか?」
「そうした兆候はございません」
「そうねぇ、この間は月の障りで石山詣でに参れませんでしたものね」
匂宮が来られた時であると思い出すと、浮舟は決まりが悪くて母と目を合わせられずに俯いてしまうのです。
「今日、明日は側に居てあげますから、どうか安心して美味しいものを食べて元気を出すのですよ」
「はい」
そうして母に頭を撫でられると子供の頃に返ったように安心するものです。
浮舟は久々に母君と和やかに会話をしながら食事をとりました。
昔に戻ったように過ごしていると、いつもの姫と何ら変わった様子も無く、何か悩みでもあるのではないかと考えるのが母親の鋭い勘というものでしょうか。
このような山奥では薫君のお越しも間遠になり、取り残されたように気も塞ぐこともあるものだ、と母は姫の心を探ろうとしました。
「ここは川音も激しく、さぞかし寂しく思召したでしょうねぇ」
「はい。ですが、景色が雄大で慰められますわ」
「そう。あと少しの辛抱で京へ移られますから、そうしたら行き来がしやすくなるので、今よりずっと姫と頻繁にお会いできるのが嬉しいわ」
「ええ」
浮舟の目下の悩みがまさにその出京のことであるとは露とも知らぬ母ゆえに、また口を重く閉ざしてしまうのです。
そこへでしゃばり気味の乳母が喜色満面に報告をするのがまた辛い。
「お方さま、薫さまは本当によく気がまわる殿方でいらっしゃいますわねぇ。わたくしどもが無事に立派に引っ越しをできるようにと女房たちの装束まで新調してお贈りくださったのですよ。当日にも御車を差し向けてくださるとのことで、わたくしのような考えの至らぬものがどうにもならぬことまで差配してくださいます」
「わたくしの元にも一番に便りを下さって、とうとう姫が京に迎えられる時が来たのだと嬉しくてねぇ」
母親の喜ぶ顔を見ると浮舟の心は痛みます。
 
もしも匂宮に迎えられるなどという話があることを知ったならば、この人たちは如何に思うであろうか?
それ以前に宮と通じたことが知れたらどう思うであろうか?
 
そんな矢先に匂宮の手紙がそっと届けられたのです。
 
愛しき人へ
雲の幾重にも立ち重なっている山に御身が姿を隠したとて、必ず私はあなたを探し出すであろう。宿縁とはそうした逃れられぬものだとは思いませんか。私はどんなふうにしてでもあなたを求めて、事が露見して共に身を滅ぼす道に踏み込んでもきっと後悔はしません。
もう後戻りはできないのです。
心配をせずに私だけを信じてください。
 
宇治へ隠れ住んでも見つけられたものを、なるほど宮ならばこの言葉の通りにどこへ身を隠しても探し出してしまうに違いない、と浮舟には思われて、またどうしてよいのかわからずに臥してしまうのでした。

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