紫がたり 令和源氏物語 第百二十五話 明石(十二)
明石(十二)
明石の姫はというと、たしかに恋心を抱いておりました。
噂に名高い身分ある方とこんな辺境の明石でお会いできるなど、それだけでも身にあまることでしたが、ましてや丁寧に求婚までしていただけるとは、これ以上に光栄なことはありません。
源氏が魅力的なことは最初からわかっていたのです。
あの心をさらけだしたような琴の調べを聞いた時から、魂が引きずられるように君のことばかりを想い、浦を散策される御姿を仄かに垣間見ただけで目が離せなくなってしまったのですから。
しかし所詮はこの浦で海人たちに紛れて果てていく身なれば、潔く節度をもったお付き合いをしようと姫は決めておりました。
明石の入道は源氏の目が娘に向いてきたことを嬉しく思っていましたが、それと同時に本当に縁を結んでよいものかと迷いが生じていました。
源氏の素晴らしさを実感し、婿としては何不足のない相手です。
あの御方ならいずれ朝廷に復権されるという確信もあります。
一方では娘がもしも気に添わず打ち捨てられるようなことになればと思うと不憫で仕方がありません。
これもひとえに子を思うゆえの惑いなのです。
それでも神仏に従うのみ、と心を固めました。
季節はもう秋になっておりました。
入道は吉日として八月十三日を選び、月が華やかに昇った頃に源氏の元に「あたら夜の」とだけ書いた文を差し上げました。
古歌に伝えられる有名な歌を匂わせたものです。
あたら夜の月と花とを同じくは
心知れらむ人に見せばや
(惜しいほどに美しい今宵の月と花<娘>を情趣を解するあなたに差し上げたい。いざ参られませ)
源氏も心を決めました。
惟光を供につけ、馬に乗って導かれるままに山手の御殿へと向かいます。
近く感じる月が辺りを明るく照らし、松風がひょうひょうと耳の奥に響きます。
心は静かに凪いでいて、今は明石の姫への愛情がなみなみと満ちているのでした。
次のお話はこちら・・・
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?