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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百十四話

 第二百十四話 小野(八)
 
浮舟の額からは緊張で汗が吹き出し、まんじりともせずに身を固くして警戒しておりますが、どうやら方々は管弦に興を催したようです。
僧都の母である大尼君までが笛の音に誘われて端近に姿を現しました。
「なんと美しい月だこと。昔はこのような宵に楽を奏でたものですよ。笛の音が合うものですねぇ。ささ、あなたは琴の琴をおやりなさい」
そう娘の尼君に七弦琴を勧め、女房たちに楽器を運ばせました。
咳がひどくてしわがれた声の様子に中将は亡き妻の祖母であるかと気付くも、このように長生きする御方を目の当たりにするとなぜ妻は若死にしてしまったのかと老少不定を嘆かずにはいられまい。
そのような思いを乗せた中将の笛の音は盤渉調(ばんしきちょう=ロ調)でゆかしく伸びやかなのです。
勧められた尼君も遠慮しながらではありますが、微かに琴を爪弾きはじめました。
「小野の山風に馴染んだわたくしが満足に弾けますかどうか。それにしても御身の笛が昔よりも殊更に趣深く感じられます」
そう言って奏でる七弦の琴、というのは当世あまり演奏される琴ではないので中将も珍しいと耳を傾けました。
筝の琴は華やかで派手らしく手の拙いものもごまかしがきき、六弦は素朴な響きを持ちます。この七弦の琴というのは技術が如実に表れるもので、尼君の奏法というのは些か古臭いものではありましたが、却って新しくも感じられるのが面白い。
それまで聞き入っていた大尼君もうずうずと黙ってはおられなくなりました。
「常日頃から見苦しいと息子の僧都に演奏を禁じられておりましたが、昔は慣らしたものですよ。弾いてみればまんざらでもないと自負しておりますとも」
そう言って弾きたそうにしている大尼君をおかしく思った中将は、老い先短い老人とて好きにさせてあげようと思うのです。
「なぜ僧都さまは楽を禁じられるのでしょう。極楽浄土では観音菩薩さまも演奏なさり、天人までもが舞い踊ると申しますのに。奏楽が修行の妨げになどなるものですか。どうぞ和琴を奏でてくださいませ」
「お許しが出たので早くあづま(吾妻琴=六弦琴)をお持ちなさい」
嬉々として和琴を引き寄せる姿を苦々しく見る娘の尼ですが、尊い兄僧都のことまで恨まれてはと為すがままにさせております。
大尼君が弾きたいようにするもので他の楽器との調子が合わずに皆が演奏をやめてしまったのを優れた手ゆえに遠慮しているのかと当人は満悦に浸るのが見苦しい。
「近頃では聞くことのできない貴重な調べでございました」
中将がお世辞に褒めたのを耳も遠くなりがちで、よくも理解できないようであります。
「近頃の方はあまり楽を尊びませんのねぇ。最近こちらにいらした姫も美しくはありますが管弦を無駄なことのように思われているようです」
浮舟はそれを聞いて自分に嗜みがないのを恥じました。
中将は色めいた気にもなれず、そのまま庵を後にしました。
道すがらに響く笛の音が浮舟の耳に届くと薫君を思い起こさずにはいられません。
 
あの御方の笛を奏でる御姿は清く、その調べは耳が洗われるほどに美しいものだった。
 
中将の笛はとても薫君には敵わぬものでしたが、この宵ばかりは郷愁に誘われて君を想わずにはいられない浮舟なのです。
 
 我かくて憂き世の中にめぐるとも
      誰かは知らん月の都に
(わたくしがいみじくも命を救われてこのように永らえていることを誰が知るであろうか。月が照らす都にはそれを知る者はいないでしょう)

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