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紫がたり 令和源氏物語 第五十三話 花宴(一)

 花宴(一)

藤壷の宮は中宮へとお上りになりました。
心密かに慕う人は名実ともにこの国でもっとも尊い女人となられたのです。
あの宮の気品溢れる物腰と優れた様子はまさにその御位に相応しいものには違いありませんが、もう逢えることはないと思われると、心の大事な部分が失われたようにむなしく感じる源氏の君です。
せめて私の心が嘆くように宮の心も嘆いているということなどが、ちらとでもわかれば私は自分を保っていられようものを・・・、暮色に染まった空に雁が連なって飛んでゆくのを物悲しく眺めるその姿には、光る君と呼ばれる輝きは見えません。
ただただせつなく、苦しい想いを押し込めているうちにその年は暮れてゆきました。


春になると、紫宸殿の桜を愛でる宴が催されました。
桐壷帝の玉座を中央に東(左側)に春宮、西に(右側)に藤壷の中宮が参上されての盛大な催しです。
弘徽殿女御は帝の傍らに藤壷女御が中宮として座すのを不快とされましたが、かといってこのような大きな宴に出席しないのではそれこそ気も塞ぐもの、と下座にて控えておられました。
春の訪れを感じるうららかな日差しに遠く小鳥のさえずる声も響きます。
親王、上達部をはじめ、詩文に秀でた者達が清涼殿の東庭に一堂に会し、それぞれ与えられた一文字を詩に織り込んでゆくのです。
舞楽などが一通り終わるまでに作り上げ、発表するという趣向です。
「私は“春”の一字を賜りました」
最初に凛として文字を披露したのは源氏の君です。
その堂々として優雅な風情に周りの者達は気圧されるようで、次に頭中将が自分の姓名と賜った文字を、負けじとこちらも朗々と吟じるように述べられるので、後に続く者達はしどろもどろ・・・、この御世には学問に優れた公達が多くあったので、専門の文章博士などは消え入るばかりに恐縮しきりなのでした。
長い春の一日が夕闇に染まり始めた頃、ひときわ笙の音色が高まり『春鶯囀(しゅんおうてん)』という舞楽が奏じられました。
これは春の暁を鶯が言祝(ことほ)ぐ、といったものでおめでたい席で演奏される楽曲です。
その染み入るような音色に、いつぞやの源氏の艶やかな『青海波』を思い出された春宮は、自らの挿頭(かざし=冠に挿す花枝)の桜の一枝を源氏に与え、
「源氏の君よ、あの紅葉賀でのあなたの舞は素晴らしかったね。どうぞこの桜の宴でも披露してくださいよ」
そう心安くおっしゃいました。
この春宮は弘徽殿女御がお産みになった第一皇子ですが、母と祖父(右大臣)ほど源氏の君を憎く思っておらず、むしろ兄として愛情を持ち、宰相たる源氏の才を素直に頼りにしておられるのです。
「それでは、ほんのひとさし・・・」
源氏が袖を翻し、一節舞うだけでも桜の清廉な薫りが一段と高まるようです。
「頭中将はどうした?そなたも舞を披露せよ」
そう帝が所望されたので、中将は桓武帝の御代に唐から伝来したという『柳花苑(りゅうかえん)』という舞を披露しました。
さすがに源氏のライバルを自負するだけあって準備も余念がありません。
動じることなく堂々と見事な舞を披露したので、珍しくも中将は帝の御衣(おんぞ)を賜ることができました。

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