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紫がたり 令和源氏物語 第三百三十話 若菜・上(二十四) 

 若菜・上(二十四)
 
遠い明石の浦にて春宮若君誕生の知らせを聞いた入道は、自身の現世においての役割は終わったと強く感じておりました。
大気は温み、春まで今少しの海がきらきらと陽光に輝く様子はまるで入道の心裡を表したように清しいものです。
入道は自分の邸を寺にして、所有していた田畑などは寺領として身辺を整理すると、弟子たちに告げました。
「今こそ深山に分け入る時がやって参りました」
そうして深々と頭を垂れる師の決断に弟子たちは心乱れ嘆きましたが、そうしたところで揺らぐ御仁でないことを知っております。
「我々は入道の教えを守り、研鑽して参りたいと思います。いざ、御心おきなく入道の信ずる道をお行きくだされ」
一の弟子がそう言うと、一同は入道へ頭を垂れました。
そうして翌朝、明石の入道と言われた人は長く住み慣れた邸を後にしたのでした。
明石の入道はいつでも分を弁えている御仁でしたので、孫娘のために付き従って上洛した娘と妻に用のある時しか文を出しませんでした。
それでも本当に要件のことだけを一、二行したためるばかりです。
しかしながら最後の別れともなる手紙にはそれまでの歩みを振り返りつつ、思いのたけをしたためたものを娘に送りました。
それはまさに遺言となるもの。文面は以下のようなものでした。
 
 
人伝にちぃ姫が春宮女御となられ、無事に男御子を成したと承りました。
心からお慶びを申し上げます。
世を捨てた拙い山伏にすぎぬこの身がこのように心を遺して参りましたのは、ひとえに御身を思う故のことでした。
六時の読経勤行にもただひたすらにあなたの幸せをと願い、自身の極楽浄土を後回しにしても祈り続けたのには訳がございました。
それは御身が誕生する時のこと、私は不思議な夢をみました。
茫漠とした空間にただ一人、その私の右手には世界の中央にあるという須弥山が握られており、その山をかざすと山の左右から日月の光がさやかに差し出して世を明るく照らしました。
しかし私は山の陰となりその光には浴さないのです。
務めを果たした私は須弥山を大海に浮かべると小さい舟に乗って漕ぎ出してゆくのです。
その行きつく先はまごうことなき極楽浄土でありました。
私は当時位も低く将来も望めぬ身でしたが、この夢はただの夢とは思われず、ありとあらゆる仏典以外の書籍を紐解いてもこれは吉夢であるとしか思えません。
そんな矢先に御身が母の胎に宿られたことを知ったのです。
尊い御身を賜ったことをうれしく思いましたが、宮仕えとは申せ薄給の下っ端役人ではどうしてご養育あそばしたらよいか思案もつかず、いっそ受領にでもなったほうが蓄財もできようと播磨の守と落ちぶれました。
田舎に下ったのが御身にとってよいものであったかどうか迷う日々ではありましたが、一心に願った末に源氏の君という尊い御方と巡り合えたのはやはり神意ゆえとしか思われません。
数々の願文をたて、それが今若君誕生という知らせを聞いて果たされたことを知りました。
女御はいずれ国母となられることでしょう。
そうなりました暁には住吉の御社をはじめ願文を立てたお社にお礼参りをされるよう願うばかりです。
あの夢の通り、大役を果たした私の身も救われ、来迎する御仏を待つばかりとなりました。
これ以上はなんの欲もございません。
清浄な深山に分け入り命の消えるその時までひたすら念仏を唱える所存でございます。
そしてこの身は熊狼に施されるよう消えゆくのが本望でございます。
 
光出でむ 暁近くなりにけり
               今 ぞ見し世の夢語りする
(私の願いであった若宮が帝となり、明石女御が国母となる夢は実現されると確信いたしましたので、今こそ私はかつてみたお告げの夢を語ることに致しました)
 
追書:私が死ぬ日をお知りになる必要はありません。
喪に服することもなさるな。
御身は神仏の化身であるので、私の冥福を祈ってくださるだけでありがたいことです。
母の尼君は永らえてその傍らで心願成就を見極めてください。
そしていつか極楽浄土で再び巡り合えることを喜びと致しましょう。
 
明石の上は父が頑なに意志を貫いたのはこのようなわけあってのことであったか、と驚きました。
厳しくも愛情を注いでくれた父が懐かしく、もう二度と会えぬのだと思うと悲しく胸が塞がれるようです。
そうして尼君と共にかの人を偲んで泣きました。

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