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紫がたり 令和源氏物語 第二百八十三話 真木柱(十四)

 真木柱(十四)
 
後ろ髪をひかれるように御所を離れた玉鬘は心底夫が煩わしくてなりませんでした。
何しろ右大将ときたら、
「お主上はなにもされなかったであろうな?手を握られたということもあるまいな?」
そう汗をかきながら狭い車の中であれこれと詮索するもので、それが玉鬘には情けなく感じられるのです。
品性が下劣なのでそのような邪推をするのかと不快感さえ覚えます。
玉鬘の軽蔑するような眼差しに気付き、ようやく口を噤む右大将ですが、一転不敵な笑みを浮かべて言い放ちました。
「もう参内はしないでよろしい」
「何を仰るのですか?わたくしには務めがありますのよ。源氏の大臣だって半端な務めはお許しにならないでしょう」
「源氏がなにほどのものか。もうあなたに指図なんてできませんよ」
まるで打って変わったようにふてぶてしい態度をとる右大将を目の前にして、玉鬘は不安になりました。
そうしてまんじりともせずにじっと押し黙っていると、ほどなくして車は止まりました。
牛車の御簾が巻き上げられたその瞬間、玉鬘は言葉を失いました。
そこは六条院ではなく髭黒の自邸であったからです。
「さぁ、あなたは今日からこの邸の女主人というわけです。もう私だけのものですよ」
まんまと騙されたことに気付いた玉鬘は膝から力が抜けていくように崩れ落ちました。
 
気を失った玉鬘が目を覚ますと兵部の君が心配そうに顔を覗き込んでおりました。
「姫さま、大丈夫ですか?」
「兵部、ここはどこなの?」
「右大将さまのお邸でございます」
玉鬘は夢ではなかったのだ、と落胆してぼんやりと部屋を見回しました。
陽はもう高く昇っていて、差し込む光の中に見慣れぬ調度品が並べてあり、庭は六条院と比べて狭く殺風景で味気のないものでした。
「あの人は?」
「次の間におられます。お呼びいたしましょうか?」
「余計に気分が悪くなりそうだから、結構よ」
「では、姫さまはお加減が悪いと伝えて参りましょう」
兵部の君も急なことで戸惑っているようですが、何にしても姫が一番大切な君ですので、即座に次の間へと向かいました。
「玉鬘は目を覚ましたか?」
兵部の君を見ると右大将はそわそわと落ち着かずに尋ねます。
「たいそうお加減が悪いようで、熱もあるみたいです。私がついておりますので、参内なさってください」
「ちょっと様子を見てこよう」
「今は何よりも安静が必要ですわ。右大将さまの仕打ちは姫さまを傷つけるばかりなんですもの。このまま姫さまが儚くなってしまってもよいのですか?自重してくださいませ」
兵部の君はずっと忠実に姫を守り抜いてきたので、天下の武官・右大将にも遠慮がありません。右大将もこれ以上玉鬘に嫌われても辛いこと、と兵部の君に従わざるをえませんでした。
右大将が出かけると、玉鬘は兵部の君を近くに召して涙を流しました。
「兵部、六条院に帰りたいわ。ここはまるで息が詰まりそうなのだもの」
もうこうなってしまってはどうにもならないのですが、兵部の君もそれを口にすることはできません。
「お可哀そうな、お姫様・・・」
ただ姫の手を握って共に泣きました。

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