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紫がたり 令和源氏物語 第二百三十七話 螢(五)

 螢(五)
 
競射の催しは無事に終わり、公達たちは美しい衣装を戴いて機嫌よく帰って行きました。
兵部卿宮は玉鬘姫が見物に来ていなかったのをとても残念に、物足りなく感じておられます。いまだ興奮冷めやらぬ、昨夜の螢の光の中に浮かび上がった美しい横顔は今も鮮明に蘇るのです。
是非妻にしたいと今日も源氏に申し込んできたのですが、否とも応ともはぐらかされたばかりです。
源氏自身が姫に言い寄っているなどということをご存知ない宮は何が自分に何が不足なのかと思い悩むのでした。
 
その夜源氏は花散里の君の元へ泊まりました。
「今日の催しはいかがでしたか?」
花散里の君はそれは嬉しそうに瞳を輝かせています。
「楽しゅうございましたわ。若く美しい殿方が弓を射る姿などめったに拝見できませんもの。その後の宴も楽の音もすばらしかったですわ」
「あなたの差配のおかげでよい宴になりましたよ。ありがとう」
「いいえ。準備する間も楽しいものですわね」
源氏はいつでも春の御殿でばかり宴を開いていたので、この君がこれほど喜んでいる様子に申し訳なく思いました。
日頃不満など漏らさぬ人なので、ついつい配慮を欠いて甘えてしまうのです。
「兵部卿宮は歳を追うごとに優美さを増して、さすがに立派でしたね」
「ええ、でも。あなたの方が若々しく見えますわ。兵部卿宮さまは以前内裏で拝見しましたが、貫録がついたように思われます」
「弟の帥の宮はどうでした?」
「あの方は親王さまという感じではありませんわね。諸王という雰囲気ですわ」
花散里の君が無邪気に言うとその天衣無縫さゆえにまったく悪意が感じられませんが、一瞥で人柄を見抜く力はたいしたものです。
これも天分かと源氏は面白く思いました。
花散里の君は庭の菖蒲の美しかったこと、爽やかな風が清々しく、楽の音が天上の調べかと思われるほど雅だったことなど、清らかな笑みを浮かべて嬉しそうに話します。
源氏はこの君と語らうと不思議と心が浄化されていくように感じます。
二人の間には几帳が立てられ、もう褥を共にすることはありませんが、心は通じ合い、壮年の夫婦らしい落ち着いた良い関係を保っています。
花散里の君は歌を詠みました。
 
その駒もすさめぬ草と名にたてる
  汀(みぎわ)の菖蒲(あやめ)けふや引きつる
 (馬も見向きもしない水際の菖蒲<私>ですが、今日は端午の節句ということで特別に引き立ててくださったことを感謝します)
 
とりたてて優れた歌というわけではないものの、この人の素直さと多くを望まない殊勝な美しい心根が垣間見られます。
懐かしい庭の白い橘の花が優しい香りを漂わせて、源氏は安らかな眠りに誘われるのでした。

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