見出し画像

紫がたり 令和源氏物語 第二百三十話 胡蝶(五)

 胡蝶(五)
 
さて、玉鬘姫への求婚者は日を増すごとに多くなり、源氏は悦に入りながらも、一体誰を婿としたものかと考えあぐねております。
そもそも玉鬘を誰にも渡したくないという心があるので、どんなに優れた親王や上達部でもめがねに叶うはずもないのです。
いっそ内大臣に御子であることをお知らせして娶ってしまおうかと真剣に考え始める今日この頃なのでした。
 
この微妙な関係を玉鬘も心苦しく思っております。
何しろ立派な様子の夕霧の中将が真の姉と礼節正しく親しげにお話しになるのも気恥ずかしく、実の弟である柏木の中将や弁の少将などに懸想されるのも気まずくてならないからです。
そんなところを源氏は気付かぬ風であれこれと細かく指図するのがどうした心裡か、まったく玉鬘には測り知れないのです。

「どれ、今日来たお文を見せてご覧なさい」
そうして女房たちに手紙を広げさせ、
「この中で身分高く手ずからお返事すべきは兵部卿宮と髭黒の右大将ですね。兵部卿宮と私は幼い頃から仲睦まじくしてきましたが、色ごとについてはなかなか語り合うこともなかった。このような文を書かれるとは真剣に姫を想われているようですね。まこと興味深い。ないがしろにしてはいけませんよ」
実の親らしくのたまう源氏の君に、玉鬘は密かに鼻白むしかありません。
「こちらは髭黒の右大将からの文ですね。髭黒殿は真面目一本の御方なので浮いた話も聞かなかったが『恋の山路には孔子のような聖人も倒れる』という諺は本当なのだねぇ。あの方が色恋とは。。。」
そのように源氏がまるで人の恋心を嘲る風が、玉鬘姫には鼻についてなりません。
それは貴族だから、尊い生まれだからと人を蔑むのが身にしみついた傲慢さとしか思われないからです。
玉鬘姫はその生立ちから人の機微に聡い姫です。
源氏は母との縁で迎え入れてくれましたが、やはり住む世界も違い、はなから立つ位置も及ばない方なのです。
玉鬘はまだ見ぬ父もこのような御方であるならば、娘と名乗り出るのも分に合わぬのではないか、と思い悩んでいるのです。

「ともあれ、双方に粗相ないよう返事なさいよ」
などと、源氏は姫の思いも知らず面白く恋文を吟味しております。
ふとそこに小さく結ばれた縹色の文があるのを見つけて眉をひそめました。
「これは誰からのものか」
おそらく女房たちを通じて贈られたものではありません。
手蔓の無い身分の低い者が下仕えの女などを通じてよこしたものでしょう。女房たちがはっきりと答えないので、源氏は苛立ちを覚えました。
「このような文から間違いが起こったりするのです。軽々しい若い男が不都合を働いたような場合、男にばかり咎があるというものではありません。女の方にも隙があったと思われるのですよ。ひいては女房たちの迂闊さがこうした過ちを犯すものなのです」
その厳しい物言いに右近の君が渋々口を開きました。
「もちろんその辺は厳しくしておりますし、殿さまが許した相手でなければ姫のお返事も差し上げないよう気を配っております。その文は柏木の中将が女童のみる子を口説いて無理やりよこしたものですわ」
源氏はそれを聞いて、なるほど実弟からでは気まり悪く言いだせなかったのであるかと納得します。
その結び文を開いてみると、趣味の良い唐紙に若者らしく当世風の華やかな手跡で歌がしたためられておりました。
 
思ふとも君は知らじなわきかへり
      岩もる水に色し見えねば
(私があなたに想いを懸けていることをご存知ないでしょう。湧き出でて岩から溢れる水のように私の想いに色はついていないので)
 
「ふむ、よい手跡をなさっておられる。まだ身分は低いものの、いずれは大臣にも昇ろうという逸材ですからね。今の所は事情もあるので、それとない返事を差し上げておくとよいでしょう」
玉鬘姫は袖で口元を隠して横を向いてしまいました。
実の弟に懸想される、などとややこしい状況に追い込んでおきながら、よくもまぁ、という不快感があるのでしょう。

「私があれこれと指図するのが気に食わないですか?」
源氏は姫に尋ねましたが、今頼れるのはこの大臣だけという弱味があるので玉鬘は「いいえ」と短く答えるだけです。
「今のままで内大臣と対面されても夕顔の身分が低かったこともあり、筑紫の片田舎で育ったあなたが異母兄弟たちと同等に扱われるとは思えません。女人の身分は結婚によって上がりますから、しかるべき親王なり上達部の北の方となってからの方が内大臣の扱いも違ってくるでしょう」

結婚などせずにただ実父に引き合わせてくれればよいと願っていたものの、世の中というのはそういうものなのか、と思うと玉鬘もそれ以上は何も言えず、悲しく俯くのでした。

次のお話はこちら・・・


この記事が参加している募集

#古典がすき

4,071件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?