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紫がたり 令和源氏物語 第四百十四話 夕霧(十七)

 夕霧(十七)
 
源氏はあのように思い詰めた夕霧を見て、堅い者ほどこれと決めたらば譲らぬであろう、せめて騒動にならなければよいのだが、と心配しております。
そうして思案顔で御座所に戻って来た源氏の顔色を紫の上が読もうとするので、ついつい心情を漏らしてしまいました。
「今夕霧がやって来てね。あなたも例の噂を聞いているだろう。本当のところはどうなのかと気に懸かっていたのだが、夕霧は思ったよりも真剣に宮さまを慕っているようで、親らしいことのひとつも言えなかったよ」
「まぁ、そうでしたの」
この頃の紫の上は大病を患って以来、調子の良い時もあれば起き上がれぬこともあり、病状は拮抗しておりますが、この日は気分がよいようで、源氏の意を汲んで慈悲深い色をその目に宿していられます。
そんな紫の上の姿を見ると、なんとも心の豊かな美しい人であるよ、と感嘆せずにはいられません。
「私はあなたをとても愛しているのでつい心配になってしまうのだが、もしも私が先に死んだならば、あなたにもたくさんの男が群がってくるのだろうねぇ」
そう言って深い溜息をつく源氏に紫の上はほんのり頬を染めて答えます。
「あなたはわたくしをお遺しになって、先に逝くおつもりですの?」
笑みを含んだ柔らかいもの言いについ笑んで返してしまう源氏の君です。
「いやいや、いい歳をした男の嫉妬というのは見苦しいね。ですが、どちらが残っても物思いは尽きぬというもの。願わくば共にあの世に旅立ちたいがこればかりはなんとも・・・」
この二人の関係はというと、紫の上の命が消えんとしたその時に源氏がこの人以上に大切な者はないと気付いてから素直にその愛情を示すので、堅固な信頼が築き上げられ、すっかり落ち着いた夫婦となっているのです。
いつまでも若々しく愛嬌がある源氏を紫の上が大きく包み込んでいる感じでしょうか。
殿方というのはいつまでたっても女人には大きな子供のような存在なのです。
しかしこのような境地にはなかなか到達できぬもの。
紫の上は今まさに悩み苦しんでいるであろう雲居雁と女二の宮に思いを馳せました。
 
雲居雁は念願通り初恋が実り、祝福された結婚をしてからはこうした方面に悩まされるということがなかったばかりに今大きく動揺していることでしょう。
長く夫婦として連れ添っていると互いに遠慮もなくなりがちで、そうした時に男性は他へ目が向いてしまうことがあるようです。
 
女二の宮はと言えば、慎み深い皇女と聞き及んでおりますので、再婚などは考えてもいなかったことでしょうが、噂が先行してついには御心を曲げられるような状況に追い込まれているのかもしれぬ、そう思い遣ると、つくづく女人とは辛い生き物であると痛感せずにはいられません。
嗜みをもって殿方には逆らわず、悋気もならぬ、とは人として生きる尊厳すらも奪われるように思われてなりません。
色々と事知り顔をするのもおこがましいと物を考えることさえ禁じられ、女はただ笑ってそこにあればよい、というのが殿方の理想であるならば女人は何故に感情を持って生まれてきたのでしょうか。
親として娘を思うのであれば、かわいい娘がそのように自我を押し殺して生きるのをよくも思われぬものを妻となれば違うのか。
紫の上はそのように二人の女人の心裡を慮って胸を痛めるのでした。

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