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紫がたり 令和源氏物語 第三百九十一話 横笛(八)

 横笛(八)
 
西の対の御座所に移った源氏は幼子たちに見せる顔とは違った父親の顔をしておりました。
夕霧はなかなか本当に聞きたいところを言い出せずに徒然にあの一条邸での楽の話などを紛らわせましたが、源氏は夕霧が女二の宮の話をする時に特別な感情が入り混じるのを見逃しませんでした。
宮が夕霧と合奏したと聞くと、皇女であるのに軽々しいことを、と女三の宮の不貞が思い起こされて、危ぶまれてならないのです。
「想夫恋を弾かれた宮のお気持ちは慮るにせつないね。しかしそれを他の男と共有しようというのは如何なものか。夕霧よ、お前も世間に誤解を受けぬようなお世話をするに留めたほうがよいぞ。皇女というご身分柄噂でも立てば女二の宮さまがお気の毒なことになる」
「ほんの少しばかり哀れを催されて和琴を掻き鳴らされただけのことですよ。私だって子供ではないのですから、その辺は心得ております」
襟を正した夕霧は痛い腹を探らたようで決まり悪く感じられます。

これは話の矛先を別に向けるべきである、と起死回生らしく声を一段と低くして父に迫りました。
「今日参上したのは折り入って父上にご相談したいことがありまして・・・」
そうして夕霧は夢に現れた柏木と手元にある名笛の話を聞かせました。
 源氏はその笛が継承されるべきは薫であると即座に悟りました。
そして我が子可愛さの為にその御霊がいまだにさすらっていると思うと柏木を不憫に思うのでした。
「その笛は元々陽成院の御持物だったが、亡き式部卿宮さまが受け継がれたものなのだ。柏木が童の頃から非凡な楽才を示したので萩の宴にて下されたのだよ。そういえば皇統の筋に心当たりがなくもない。私が預かり、然るべき筋にお譲りしよう。一条御息所は由緒をご存知なくお前に下賜されたのであろう」
そう何気なくかの名笛を手にした源氏の君ですが、夕霧ほどの男ならば事の真相にも気づかぬはずはなかろうと察せられるのです。

感慨深げに名笛を眺める父に夕霧は今この時をおいては柏木の臨終の言葉を告げる機会はなかろうと切り出しました。
「父上に今ひとつ申しあげたいことがあるのです。柏木が亡くなる前に私に言い遺したことでございます」
源氏は異なこと、と身を乗り出す。
「柏木ははっきりと言いませんでしたが、父上にお詫びせねばならぬことがある、と。心の底から詫びていたと伝えて欲しいと懇願されたのです。そう訴える柏木の顔にはもう死の影が滲んでおりました。とても只事とは思えませんでしたが、今日まで伝えずにおれず申し訳ありません」
源氏はその言葉を噛みしめるようにかの秘事を脳裏に思い浮かべるものの、どうしてそれをはっきりと夕霧に言えようか。
このことは生き残った女三の宮の名誉の為にも世に漏らされるべきではないのです。
柏木とてそれを望むことはないでしょう。
今の源氏はとうに柏木を赦しております。
それどころが薫がこの世に誕生するための縁(えにし)であったのだと納得しているのです。
「私は柏木にそんなに謝罪されるような覚えもないし、なんと答えてよいのやら。しかし夢の話を夜するのは縁起が悪いというではないか。口うるさい老い女房たちにとやかく言われることになろうよ。その話はいずれまたな」
そう言って、若々しく笑む父の顔を夕霧はなんとも答えてもらえるはずもないことであったよ、と気恥ずかしく思う一方なのでした。

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