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紫がたり 令和源氏物語 第五話 帚木(一)

 帚木 (一)

「光源氏」と呼ばれるようになった源氏の君ですが、世の人々は噂好きで、さも源氏を好色なように口の端にのぼらせます。
しかし実際のところは源氏の姿さえ見たこともないような者達がやっかみ半分、憧れ半分で噂し合っているだけのことです。
女人にしてみれば一度は逢ってみたいという願望も込められて話題にされるのです。

後宮を出て5年、源氏は17歳になろうとしておりました。
瑞々しい少年から、体つきもしっかりと、線の細いところはそのままでしたが、背も伸びて、竹のようにしなやかな肢体は立ち姿も美しく、艶めかしさを増した在り様です。
当然あまたの女人からのお誘いは多く、内裏に仕える女房たちも放ってはおきません。
しかしながら当の源氏は極めて真面目な貴公子なのでした。
君は世の好奇の目の残酷さと右大臣や弘徽殿女御が自分を快く思っていないことなどをちゃんと心得て、軽率な振る舞いはするまいと己を戒めています。
そうとはいって、青春ざかりの男子がおとなしくしているはずもありませんでしょう。
正妻の葵の上との仲は今一つしっくりとはいかず、源氏は心に秘めたる恋人を想うがゆえに、どうにも女人を求める気持ちを抑えられないのです。
内裏に勤める女房との密かな恋もありました。それはまるで心の隙間を埋めるようなひとときの恋。
源氏は歳を追うごとに美しく艶やかさを増し、口数少なく、思慮深い趣は肉親との縁薄い翳りと相まって、えもいわれぬ色香を帯びていくようでした。
源氏は普通の貴公子ではありません。
当人は他の貴族の子息たちと変わらぬ心持ちでありましたが、今上帝の皇子であるという立場は、親王にこそなられませんでしたが、尊い御方が同じ臣下であられる、と自然、他の貴族達に隔たりを置かれるようになりました。

そんな君を親友と心安く慕う貴公子がおりました。
頭中将(とうのちゅうじょう)と呼ばれる若者です。
彼は葵の上の同腹の兄で、母は桐壺帝の妹宮であったことから血筋も高貴な上に源氏と並んで当代一といわれる美貌の持ち主なのです。
頼もしい父母の元で伸び伸びと養育された彼は快活な青年で、気兼ねせずに源氏に接しておりました。

ある五月雨の夜のこと。
源氏は宿直(とのい)として内裏で過ごしておりました。
夜気がみっしりと重く、濃い闇にしとしとと雨音だけが響き渡る静かな宵です。
このような夜は寂しさが込み上げて、温もりが欲しくなるものです。人恋しさに誘われて、源氏は女性たちからいただいた恋文を文箱から取り出しました。
上質な紙に焚き染められた香がほのかに香り、墨の濃淡が女人たちの為人を表すようです。
ああ、あの方らしい優しい手蹟。
紙の色合いが実に優雅である、と送ってくださった方々を思い返しては、心に灯がともるように温もっていきます。

そこへ頭中将がいつものようにくだけた笑みを浮かべて源氏の部屋を訪れました。
「やあやあ、退屈だろうからお見舞いに来たよ」
などと、源氏が片付けようとしていた文をちらりと盗み見ました。
「やや、これはすべて恋文ですね。まったくあなたのモテっぷりときたらもう・・・。そこでだ、君は実際のところどんな姫がお好みなのかね?」
おどけた口調で軽口をたたく様子は愛嬌があり、ついつい笑んでしまう源氏の君です。
「中将こそ私などより多くの文を隠しているだろうに」
やんわりとはぐらかされて、なかなか本心を見せようとしない源氏の本命を暴いてやろうと思った頭中将は左馬頭(さまのかみ)と式部丞(しきぶのじょう)を呼びました。
常日頃親しくしている朋輩で、一端の風流男(みやびお)を気取った貴公子たちです。二人とも色の道にはかなり自負をもっており、皆で女性に関してあれこれと話しているうちに源氏も本音を漏らすのではないか、と考えたのです。
世にいう『雨夜の品定め』という場面です。

「そもそもすべてが揃って優れているという女は無いに等しいな」
と、頭中将がさも女人を知り尽くしているように胸を反らせているのが可笑しく、源氏は先を促しました。
「だいたいにおいて身分の高い女は優れていると思いがちじゃないか。ところが上流の姫というのは親や賢しい女房がついていて、ちっとも実態がわからないのだよ。いい手跡だな、と思ったら女房の代筆であったり、美しいというふれこみで逢ってみるとただの噂にすぎなかったとか。ともかく上流の女は欠点が隠されやすいのだね。
意外と中流どころによい女というのはいたりするものだ。箱入りでかしずかれる姫と違って自我があり、個性のある女が多いようだな。
下流の女はもう言葉も通じない感じで問題外ですけれどね」
源氏は女人に上・中・下といったものがあるとは思いもよらず、興味をそそられました。
「どこで上・中・下と区別するのだね?
例えば高貴な生まれでも没落した人はどちらに分類されるのだろう。またその逆の場合もしかりだが」
この疑問には左馬頭が答えました。
「生まれが賤しくて出世しても、周りの見る目は所詮『成り上がり』で、やはり血筋のいい家柄の人とは違います。
また、高貴な家柄に生まれても実質的な生活ぶりが困窮しているようでは上流とは言えないでしょう。その点を鑑みますと、この類の者は揃って『中流』のくくりにするのが妥当でしょう」
源氏はなるほど、と頷きました。
左馬頭はさらに続けました。
「中流どころがいいというのは、こんな場合だったらどうでしょう。例えばやんごとない家柄の姫が実は嗜みもなくて、醜女だったとしたら、このような家柄にどうしてそんな姫が生まれたかと思うでしょう。それが荒れた家に住んでいて世間に知られないような身分の女が美しく気立ても良ければ、思わぬ宝を見つけたような気になりませんか?
まぁ、そういったところが男心をくすぐるものなのですよ」
源氏は面白く話を聞いていて、脇息にもたれかかって寛でいます。
直衣を着崩したしどけない姿が火影にちらちらと揺らめく様子はぞくりとするほどに美しいのです。
左馬頭はこの方こそ上流の中の上つ方さえも一緒にはお並びになれないなぁ、などと嘆息しました。

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