見出し画像

紫がたり 令和源氏物語 第百八十五話 朝顔(三)

 朝顔(三)
 
朝顔の姫宮は亡き父を偲んで静かに暮らしたいという心を踏みにじられ、恋心を押し付けてくる源氏を疎ましく感じておられました。
口うるさく姫の源氏への態度を非難する女房達は源氏の経済力をあてこんでのことで、姫宮がどんなお気持ちでいらっしゃるのかを配慮するゆとりもないのです。
そうしたやかましいことなどは瑣末なことと、不思議と御耳に入らないほど今の姫宮は年齢を重ねられて冷静なのでした。
 
ふと見上げると秋の愁いを帯びた月が空にかかっています。
このように情趣の溢れる宵にあの方はよく歌を贈って下さった、と姫宮は昔を懐かしく回想しておりました。
数々の交わした文や詠んだ歌などが思い返されますが、もはやそれらは過去の美しい思い出となっているのです。
それはもちろんきっぱりと交流を絶っていないところからすると姫は源氏に好意を寄せているのですが、若く美しく自分がもっとも輝いていた時でさえ源氏との結婚には踏み切れなかったのです。
今更、としか姫には思えてなりません。
身分や年齢などからいっても姫宮が源氏と結婚すれば世間からは北の方のように重く見られるでしょう。
源氏は一度契った女人を見捨てることはないと聞き及んでいるので北の方ともなればおろそかな扱いはないでしょうが、若かった日と見劣りがして心が離れてしまうことになれば、夫婦など形ばかりのものとなるに違いないのです。
そんな風にならない為にも源氏には若く美しかった様子だけを胸に留めていてほしいと願う姫なのでした。
 
冴えた夜気に想いを巡らせて、夜がしらじらと明けてゆきます。
思い返せば様々な出来事が後から湧き出てくるほどに二人の歴史は長いのです。
姫君がいろいろと思い悩んでいたように、源氏も眠れぬ夜を過ごしていたのでしょうか。
明け方に文が贈られてきました。
その文には咲き残った色褪せた朝顔が添えられ、姫宮はその一輪がまるで自分のようであると悲しくなりました。
 
源氏:見し折の露わすられぬ朝顔の
      花のさかりは過ぎやしぬらん
(あなたを垣間見た時のあの美しさが今でも心にありありと浮かぶのですよ。その盛りが過ぎてしまったとでもいうのでしょうか。ですが、だからこそ長い間心を交わし続けた私たちには特別な情というものがあるとは思いませんか?)
 
懐かしい源氏の優しい手跡。
もはやそれは熱烈な恋文ではありませんでしたが、心を動かされるものがあります。
おもむろに姫宮も筆をとられました。
 
秋はてて霧のまがきにむすぼほれ
      あるかなきかに移る朝顔
(秋も終わりに近づいて、垣根に咲き残った朝顔の色褪せてあるかないかのような姿はわたくしそのもののようでございましょう。今さらそのような花を所望されることもないでしょうに)
 
なんの変哲もない歌でありますが、そこはかとなく漂うわびしさに源氏は心惹かれずにはいられません。
 
源氏は叔母上である女五の宮の様子を思い返しておりました。
姉である三の宮(葵の上の母)は歳をとられていても女人らしい上品な婦人ですが、五の宮は肌もがさがさと中性的で声もしわがれておいででした。
独り身を貫き通した女人の末路がみなあのようであるのならば、ことさらに朝顔の姫宮との結婚は必然ではあると自分勝手なことを考える君なのです。
愛し愛されることを知ってこそ、人である。
もしも姫宮に真の愛を伝えられる者があるとすれば、それは己しかあるまい、とまで思い詰めているのです。
諦めるにはあまりにも惜しいという強い気持ちがもはや抑えられなくなっているのでした。

次のお話はこちら・・・


この記事が参加している募集

#古典がすき

4,222件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?