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紫がたり 令和源氏物語 第三百五十五話 若菜・下(二十一)

 若菜・下(二十一)
 
果たしてこの柏木という青年はどうしてそのような高望みを抱くようになったのでしょうか。
その生い立ちから彼の人となりを考えてみましょう。
柏木は致仕太政大臣の嫡男として生まれました。
その父も左大臣の嫡男として生まれ、代々名家の誉れ高い血筋と謳われております。致仕太政大臣はその昔頭中将と呼ばれた源氏の親友であり肩を並べる貴公子でした。
母は正妻、桐壷帝の御代に権勢を誇った右大臣の姫君で柏木は何不自由のない環境に誕生したのです。
美しい容姿にも恵まれ、小さい頃から類まれなる楽の才能を示したことから父より秘伝の手なども受け継ぎました。
学問に至ってもその秀でた様子は貴族の子供たちの間でも群を抜いておりました。
しかしながら柏木の前にはいつでも夕霧という存在がありました。
源氏の子ということで世間は真っ先に夕霧に目を向け、それから柏木もといった具合で、親友ではありますが、彼はこの優れた従兄弟に強いコンプレックスを感じてきたのです。
柏木自身は夕霧の控えめなところも好もしく慕っておりましたが、夕霧の方が年下ですので、先輩のようなつもりでいても周りは夕霧の方を尊ぶので面白くありませんでした。
同性として見ても夕霧が優れているのは感じるもので、密かに湧き上がる嫉妬が面は笑顔を見せている裏側で屈折した感情に歪むのでした。
これは父である致仕太政大臣も同じような気持ちを抱いていたようです。
源氏という大きな存在を慕いつつ、嫉妬に悶えるようなことがあったのでしょう。
「源氏の息子の夕霧には負けるなよ」
そう何度も言い聞かされてきた柏木なのです。
ことあるごとに発破をかけられる言葉が身に沁みついて、素直な心から夕霧と向き合うというのもなかなかできないのです。
子供の頃のようにいつまでも邪気なく接することができれば若者の心は歪まなかったかもしれません。
夕霧が元服して位の低い浅葱の袍を着た時には、気の毒ではありましたが、ようやく一歩前に先んじたような気分にもなりました。
それでもあっという間に夕霧は柏木を追い越して出世してしまったのが、彼の心裡にさらに暗い蔭を落としました。
貴族の男として、最高に尊いと言われる皇女を賜り世間に重く認められたい、これは柏木の歪んだ感情が結実した目標となったのです。
それまで恋をしたり、宮中の女官と戯れることもありましたが、柏木が愛するのは自分だけでした。
それが女三の宮の様子などを少年のうちから聞きつけて憧れ、いつしかその最高の女人を娶りたいという願望が強く芽生えたのです。
独り身を貫き、いつか必ず女三の宮を賜ろうと密かに心に決めたのでした。
好機到来とばかりに巡ってきたチャンスが源氏への降嫁と決まった時には喩えようもなく辛く、ただ目の前が真っ暗になりました。
あれだけ目をかけてもらった源氏さえも憎く感じたものです。
 
宮は結局紫の上に圧倒されてお気の毒な身の上ではないか。
私が幸せにして差し上げなければ。
私たちは結ばれる運命にあるのだから・・・。
 
この青年は些か思い込みが激しいようです。
春の夕暮れに宮を垣間見てから、柏木はそれを必然と考え、さらに想いを強くしていたのでした。

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