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紫がたり 令和源氏物語 第四十五話 紅葉賀(四)

 紅葉賀(四)

年の暮れになると藤壺の宮はお産のために三条邸へ宿下がりをされました。
もう生まれてもよい頃合いであるのに、なかなか産気づかないことから物の怪の仕業ではないかと主上(おかみ=帝)は心配し、名のある寺などに安産祈願の祈祷などをさせておられます。
宮は産み月の遅いことから自分の罪が世に知れるのではないかと気が気ではなく、心を塞いで臥せっていたことから、益々物の怪の仕業ではなかろうかという噂が広がっていきます。

それを聞いた源氏は「やはり私の子に相違ない」と確信を深め、なんとか宮にお会いできないかと王命婦(おうみょうぶ)に縋りますが、宮の苦悩を目の当りにしている命婦には手引きなどできるはずもありません。宮ご自身も命婦を避けられるようになっておりましたので、長年お仕えしてきたのに悲しいことと命婦も戸惑っているのでした。

源氏はどこにも出かける気力も無くなり、こんな時には必ず物も喉を通らなくなってしまいます。
しかし今回ばかりは西の対にいる紫の君の存在が大きな安らぎとなりました。
紫の君は日を追うごとに美しさを増して、数日会わないでいるのが惜しいほどに成長しております。
まだ幼いところは多分にありますが、字を教えるとすぐに覚え、筝の琴などは小さい体を膝つきにして懸命に弾きこなそうと努力する様子も愛らしいのです。
生来のものか、何をしても気品があり、頭の回転も速いのはさすが皇族の血を引く姫君らしいというところでしょうか。
源氏は益々あの方に似てくる紫の君を拠り所として心から慈しんだのでした。

世間では二条邸に迎えられた紫の君の素性は一向に謎に包まれたままでした。
源氏は西の対には贅をこらした気の利いたものをしつらえさせて、紫の君が目にするものはすべて美しいものであるようにと心を配っております。
紫の君専用の政所(まんどころ=庶務を行うところ)や家司(けいし=執事のようなもの)を設けて、事情を知る者は側近の惟光ただ一人、という徹底ぶりで、北山の僧都にだけは姫が無事であることを知らせたものの、世に姫のことは漏れ出ないよう細心の注意を払っておりました。
紫の君の乳母(めのと)・少納言の君は源氏がこのように姫を大切にかしずいて、亡き尼君の法事などには立派なお供物を届けられたりと心をくだいてくれることを頼もしく感謝しておりましたが、源氏には正妻・葵の上や六条の貴婦人をはじめ数多の女人がおられると思うと、姫を御方々に引けを取らぬよう、立派な貴婦人に育てあげなければならぬ、と固く心に誓うのでした。

年が改まると源氏は元旦から拝賀のために参内し、こういう日はそのまま左大臣邸へ年賀の挨拶に向わなければなりません。
源氏は元旦の朝に西の対の紫の君を尋ねました。
「新しい年ですね、おめでとう。今日から一つ歳をとられましたね」
この頃は数え年ですので、正月一日に一つ歳をとります。
源氏が爽やかに挨拶すると紫の君は雛用の御殿や人形を出して忙しそうにしております。
「犬君が大晦日に鬼やらいをするといってあちこち壊してしまったの」
紫の君は大切にしていた御殿が壊れて悲しそうです。
「犬君ももう少し落ち着いたらいいのだけれどねぇ。すぐに修理させるから泣いてはいけませんよ。正月早々縁起がよろしくないですからね」
優しく慰める源氏の姿は元旦の盛装で辺りがさっと華やぐように輝いて、紫の君はさっそく源氏の君と決めた雛に立派な直衣を着せました。

源氏が出かけた後、少納言の君は溜息をひとつついて、
「もう十を過ぎたのにお人形遊びだなんて子供っぽい。今年からは大人らしくなさってくださいね。あなたにはもう立派な婿君もおられるのですから」
少納言の君の言葉に紫の君は長いまつ毛をぱちりとさせて、
「婿君というのはお兄さまのことなの?」
そう聞きました。
あどけなさが先に立つ様子に少納言の君は先の長いことと、またひとつ溜息をつきました。
紫の君はといいますと、乳母の言葉ではたと気づかされたものの、まだ夫とはどういうものかとわかるはずもありません。
しかし源氏の君が自分にとって末永く大切な人であるということは理解できます。
まだ恋も知らぬ幼い姫はぼんやりと源氏の君を慕う心を育て始めているのでした。

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