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紫がたり 令和源氏物語 第八話 帚木(四)

 帚木(四)

中将は重くなった場の空気を気まずく思い、沈黙を通している式部丞に話をふりました。
「おい、式部丞。お前なら何か面白い話があるのではないか?」
「面白い女の話ですか? いやはや・・・」
と、式部丞は語り始めました。

それは式部丞がまだ官位が低く、漢学の博士に入門していた頃のお話です。
博士には娘がおり、学問の知識が豊富で女だてらに漢文にも通ずる才女でした。
師匠の許しもあったので、式部丞がその娘と結婚したところ、仕事に関する相談も適切な助言を得られるばかりではなく、歌のこと、漢文のこと、夫の為になるならばとあらゆることを教授してくれるのでした。

「それはよい女ではないか。面白くないぞ」
と中将が途中で口を挟んできたので、
「まぁ、そうですが。寝物語にも漢文の講義がされるのですよ。たまったもんじゃありませんよ」
式部丞が口をとがらせたので一同は吹き出してしまいました。

そんな式部丞が辟易するほどの才女でしたが、何事にも真面目で一途なのが可愛く思えて新婚の頃は足繁く通っていました。
しかし元々学問が苦手だった丞は徐々に息がつまるような心地になりました。
妻女の手紙は漢字ばかりの男が書いたようなもので、こちらが下手な和歌でも書こうものならば添削されて突き返されるような始末。
言葉の端々に気をつけ、所作のひとつひとつにも気を張ります。
これでは師匠と結婚したようで、とても気持ちが休まるどころではありません。
だんだんと足が遠のいていくのも致し方ないでしょう。
それでも良心が咎めて、ある時久しぶりに女を訪ねました。
すると女はよそよそしく几帳を隔てて対面するので、さては機嫌を損ねたか、この際だから別れてしまおう、と思うと、何やら変わった香が焚き染められているようです。
丞が訝しく首を傾けていると、女は恥ずかしそうに言いました。
「長らく風邪を患っていたのですが、なかなか良くならないものでにんにくを煮詰めたものを食べまして。匂いますでしょう? なにかご用があるのならば承りますけれども」
『百年の恋も冷める』とは、まさにこうした瞬間なのでしょう。
式部丞はぽかんとして座を立ちました。
なるほどにんにくの異臭であったかと興醒めして、一刻も早くこの場を逃れたかったので、

 ささがにの振舞しるき夕暮に
  ひるま過ぐせと言ふがあやなき
(私が訪れるのは夕暮時なのに、昼間に来いとはおかしいではありませんか)

そう詠んで、はや座を後にすると、女は音もなく追って来て、(長い髪が乱れるままに、まるで貞子の様相で)丞の指貫の裾を掴んで口早に返しました。

 逢ふことの夜を隔てぬ中ならば
   ひるまも何かまばゆからまし
(いつでも通って下さる隔てのない仲ならば、昼間にお会いしたとて恥ずかしいこともないでしょう)

「いや、もう。さすがに返歌だけは早くて、早くて・・・」
式部丞のとぼけた様子が可笑しく、一瞬の間を置いて、一同は大爆笑の渦に巻き込まれました。

「作り話ではないのか?そんな可笑しな女がいるものか」
左馬頭は腹を抱えて涙を流しています。
「なんだか妙な具合になったものだなぁ」
と頭中将が漏らしたので、男達はまた目を合わせて笑い合いました。
「さて、夜も更けたし退散しますか」
そうして三人の貴公子達は帰っていきました。
好奇心旺盛な若者達が集まると遠慮がなく、噂話をしたり、女の話などで盛り上がるのは、千年前も現代でもさほど変わりはないようです。

一人残された源氏は世の中にはまだ知らないことがいろいろとあるものだ、と口元に笑みを浮かべました。
『すべてが揃っている女はそうはいない』と中将は断言していましたが、源氏は、かの女こそ足りないことも過ぎることもなかったものを、と秘めた恋人を想うのでした。

次のお話はこちら・・・


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