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令和源氏物語 宇治の恋華 第百五十二話

第百五十二話 浮舟(十六)
 
二条院に戻った匂宮は浮舟の面影を引きずった心で中君に逢うのに気が退けて、自分の御座所で横になりました。
しかし、どうにも寂しくて西の対へと渡ることにしたのです。
中君は何もご存知ないこと故、柔らかく笑んで宮を迎えられました。
清廉な気品が辺りに満ちて、まるで牡丹の花がこぼれるような格調高い麗しさに、先刻までは浮舟がこの上なくかわいいと思っていたものも色褪せてゆくように思われます。
 
やはりこれほどの美女はそうそうはいまいよ。
それにしてもやはりあの浮舟とどことのう似ている。
 
まさか二人が血を分けた姉妹であるとは知らぬ宮なので、その関係も中君が隠し立てしていると思うと憎らしくてならないのです。
さらに腹が立つのは恐らくは薫は事情を把握して浮舟を宇治へ留めていたのであろうということ。浮舟と逢ったことを中君に知らせるつもりなど毛頭ない宮ですが、この恨みだけはそうそう忘れられそうにありません。
中君を伴って御帳台へ入ると辛そうに溜息を吐きました。
「何故だか体調が思わしくないのだよ。私はもしや長くは生きられないかもしれないね。あなたを遺して逝くとなると心残りも多い」
「どうなさったのです?本当にお苦しそうですわ」
中君は美しい顔を曇らせて夫の顔色を確かめました。その献身的な姿を見ると愛しくて、やはりないがしろにされた恨み言を口の端に上らせる宮はただただ子供のように拗ねているだけなのです。
「私が居なくなってしまったらあなたはきっとすぐに再婚でもなさるだろうね。誰とは言わないが当代一の貴公子があなたに夢中なのだから。しかもあの人は執念深い。人の一念は必ず叶うというからねぇ」
「またあなたはそうしてわたくしをお責めになるのね。薫さまとの間に何もないとどれほど訴えても信じていただけぬのは辛いですわ。もしもあなたがそのように疑っていることが世間に漏れ出たりしたならば薫さまもわたくしがどんな作り事を申し上げたかと呆れ果てるでしょう」
中君は情けなくて目を潤ませ、泣き顔を見せまいと宮に背を向けました。
いつもならばここで中君を抱きしめて許すところですが、浮舟のこともあって手を緩めぬのです。
「あなたが本当のことを打ち明けて下さらぬのが恨めしい。私はあなたを重んじて大切にしていると自負しているのに」
中君はその声色で夫が真剣に自分を責めているのだと愕然としました。
宮が責めているのは浮舟のことを隠し立てしたという点ですが、麗しい妻を甚振って悲しげに俯く様に嗜虐的な快感を覚えていらっしゃるようです。そしてそれはまた自分が浮舟と逢った疾しさを転嫁し正当化する幼稚な行動でもありました。
そんな事情があるとも知らぬ中君は、どうしてよいのかわかりません。
かつて薫君を恋慕う心があったことは否めませんが、それは中君だけの胸の中に収められた秘密であり、どうにもならぬ宿世で宮の妻となった身の上です。
 
思えば親も無く世間に認められた結婚ではなかった故にこのように見下げられてしまうのか。
薫君を頼るべきではなかった、と様々な悔恨が浮かんでは消えて苛むのです。
 
中君はただただじっと涙を流すばかりで、浮舟のことばかりが頭を過ぎる宮には妻の苦悩を推し量る術もないのでした。

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